ヘーゲル
このブログでヘーゲル哲学を読むことに関する記事を書いていくと「宣言」して実際やろうとして、今躓いている状況だ。自分のためと言いながら誰かが全く読んでくれないブログを書き続けることも実際は無理であることを知っている。実際このブログのアクセス…
ぼくがヘーゲル哲学を学びたいと思わせた本は「ヘーゲル『精神現象学』入門」で、著者は加藤尚武である。いやより正確に言うと、その本でヘーゲルの弁証法が分かったような気になったというのが近い。実際の『精神現象学』の翻訳書は加藤尚武からは出ていな…
かつてサルトルが哲学のぼくの関心の中心だった。ぼくの学生の頃にマルクス主義に引き込まれ、政治的な動きが身近になった時に自分の立場をどこかに持つ必要があった。サルトルもマルクスを最後の(のりこえ不可能な)哲学としていたが、マルクス主義が客観…
ぼくが哲学に魅力を感じるのは、他人を恨んだり、羨んだりしなくなることだという気がする。徹底した自己責任と言えるかもしれない。そうかと言って他人に冷たいのではなく、他人は自分とは違う考えや生き方をするものだと芯から感じている。違っているから…
今日分かったことは、ヘーゲル「精神現象学」の翻訳として出版されている本のうち、最も入手しやすい平凡社ライブラリー版は、書いてあることがよく分からないということだった。樫山欽四郎氏訳では、中にはさっぱりわからないところがあったということだ。…
「源氏物語」を原文で読めなかったばかりでなく、現代語訳でも理解できない箇所が多くて、ネット上に掲載された解説ブログの助けを借りてようやく解るという経験をしてきたぼくにとっては、「源氏物語」と比べようもなく難解な「精神現象学」も様々な解説を…
たしかに、意識は自己の喪失を恐れる「不安」から「真理」へ近づくプロセスを断念することもあるし、また、「虚栄心」から、自己の現在もっている「真理」こそ最高のものとしてつぎの地平へ進まずこれに固執するということもありうる。しかしそれは単に「自…
以前のこのブログで、ヘーゲル哲学に出会ったことがぼくのドラマの始まりだと書いたことがある。ここではどんなドラマが始まりそうなのか「導入部分」について書いてみたい。「精神現象学」の序文のところで、ヘーゲルは自分の新しい哲学を始めることの自信…
人生は欲望ゲームで自分の好きなことをやって楽しく生活できたものが勝ち、という「哲学」があるとする。何となく現代の平均的な(ぼくの周囲にいるほとんどの)人たちの生き方の価値観がその哲学に現れているように感じる。ぼくもその哲学に同調できれば改…
これから自分の身に起こることを予測し、それの準備をすることができたら自分にとって最強な生き方になると思える。その予測は予感のようなもので、決して世界とか自然の動きなどではもちろんない。そんなことができたら預言者だ。自分の中の気持ちのほんの…
ブログ投稿を休んでまで学習に専念したいと思ったのが、どうしてヘーゲル哲学だったのか(なぜそれを選んだのか)という問いに答えなくてはならないと思う。そう自問して何となく思い当たるのが、これまでサルトルやニーチェなどの実存主義やキリスト教批判…
先のヘーゲル「精神現象学」からの引用ページに、自己との一体化という言葉があって、今日読み直した時に目に止まった。自己と一致しているときは自立していて、一致しなくなると解体が始まると書いてあった。それは知が働いているかどうかに関わっている、…
概念の意味が分からないと哲学の本を読めない、と思う。それが壁になっている。ぼくが初めて概念を分かったと思えた時に感じたのは、哲学者があれこれ説く哲学説というものがあるのではなく、哲学という世界だけが時間と空間を膨大にして広がっているイメー…
学習に専念するためにブログ投稿をしばらく休みますと、お知らせして24日経過しました。この間、学習に専念できたかというとできませんでした。ヘーゲルの「精神現象学」を読んで西洋哲学のメインストリームを学ぼうと意気込んでいたのですが、ブログを休ん…