開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

定年後人生

老いについて

若い頃は過去より未来が大きい(長い)が、老年になると未来が小さく(短い)過去が大きい(長い)。これは過去だけが確実な存在なのだから、本当は過去が大きくなる老年の方が豊かなはずだ。もちろん人生には浮き沈みがあり、良い時もあれば悪い時もある。…

超スローに生きる

今日は76回目の敗戦記念日でお盆の日だった。毎年繰り返される、敗戦記念日のテレビの特集番組は見なかった。午前中に仲間とテニスをして、午後から母親を連れて墓参りに行った。居間のソファーで少し長めの昼寝をした。ぼんやりと今の妻との生活のことを考…

これまでとは異質な日常に

今日は朝から真夏のようなピーカンの空で、こんな炎天下でテニスをするのかと思うと流石に億劫に感じた。身体がだるくなかなか眠気が取れなかった。でも仲間が集まるから出向かなければと準備し始めると体に力が入ってくるのが分かった。コートに立って始め…

結婚生活って?

子供の頃は女子の方がマセていて、ぼくが結婚ってどういうことかを女子に訊いてみたことがあった。その女の子は、食べて寝て一緒にいることよと言ったのだった。そうか、一緒に食べて一緒に寝てそれで1日が終わり、それを毎日繰り返すことなんだと妙に納得し…

文学部 Y 教授へ

昨日は突然のお電話で失礼致しました。私は今年読書会連絡協議会という小さな団体の会長になったばかりで、講演をお願いするのは初めてのことでした。前例があって、読書会のメンバーの方の中には先生の講演を複数で聴いて、先生のお名前を親しみを込めて呼…

文学講演依頼

初めてお電話します、野々市の読書会のものですが、Y先生はご在宅でしょうか? あ、初めまして、野々市市読連協の藤井と申します。はい、どうも。実は今年秋のイベントで先生に講演をお願いしたいと思いまして、お電話を差し上げました。はい。あのう、今ま…

そよ風と共に思い出す

普段と変わりない何の予定も無い日の午後、リビングの引き窓からカーテン越しにゆらゆらと風が入ってきた。その爽やかさが何かを思い出させた。68歳にもなってくると若さは格別の価値を持つ。ふとしたきっかけからイメージが沸き起こる。今ほどそのイメージ…

日本の歴史が分かり始める体験

定年後の暮らしをサラリーマンだった頃に描いてた時、読書三昧のイメージが一番先に来ていた。本に囲まれて毎日明け暮れるのがいいと思っていた。今思うとそれは、まさに昭和のイメージだ。インターネットというものがなかった時代と読書三昧の生活は親和性…

恋は幾つになっても出来る?

今日ラジオでどこかのDJが恋は幾つになっても出来ると言っていた。そうなのか、そういえばぼくもこの歳で恋が始まっているかも知れないと思った。今源氏物語を読んでその不倫の世界を知りだしたからだろうか。その人を最初に見た時、かすかにときめく感じが…

68歳の誕生日を前に

68歳の誕生日の2日前になる。定年退職後の無職の生活で、無理せず夫婦二人の生活を楽しんできている。悠々自適ではないが、特に困りごともなくまずは二人とも健康でいられている。一昨年外壁をパネルを貼って厚くし、リビングは二重窓にして保温性を増すこと…

「こころの故郷」づくり

何かを書きたい気分になっている。この気分という情動の存在論を確かハイデッガーが「存在と時間」の中で書いていた気がするが、確かめるのも億劫なので自分の心に聴いてみることにする。気分には判断にまで至らない曖昧性があるが、何かのきっかけにはなっ…

定年後の旅行先リスト

今日という日はいつもと何も違わない。日曜ごとに仲間とテニスを2時間することになっていて、コロナ禍でも先に予約してあればコートが使えた。(当日申し込みは不可)雨の予報は前日になって曇りになって2時間の間は雨にならなかった。昼食後、やはり程よい…

初夏の閑静な路地裏

もう初夏のような5月初旬の午前、ぼくは散歩したくなって普段車で泉野図書館に行くのを、車を泉野体育館の駐車場に置いて歩いて行くことにした。泉野体育館の駐車場から狭い通路で外に出られる出入口があり、そこを出ると閑静な泉野出町の住宅街の路地を通っ…

定年後の歩みを振り返ってみる

定年後会社から離れて居場所を求めていた頃、とにかく地域社会にとけ込むことが頭にあった。会社から地域へというのがまず大きな変化だとよく言われていた。ボランティアをすることが勧められていた。代表的なのがシルバー人材センターに登録して働くことだ…

読む本で自分をつくる

いつも言っていることだが、自分に関わることだけにやることを限定すれば自由にできる。政治は社会や国家に関わることだから、自由にはいかない。戦いの場になって、時には自分の死も覚悟しなくてはならない場面になることもある。相手があることであり、自…

文学的日常に生きがいを感じる

金曜日、泉野体育館のテニス教室で現代テニスでのサーブを教わる。土曜日、野々市中央公民館で李恢成の「哭」の読書会を開く。日曜の今日は、野々市スポーツランドでテニス仲間とダブルスを楽しむ。3日連続でそれぞれ違う仲間と外で会って交流した。こんな…

死のあいまいな予感

死の予感といっても自分の死ではない。ここ半年の間に、二人の知人の死に触れることになった。家族とか親類の死にはこれまでも何度か立ち会っている。この二人というのは趣味の仲間という関係で、必ずしも友人というほどの付き合いがあったわけではない。一…

初対面の人と会う

昨日のブログで最近外出が多かったと書いたが、一昨日の日曜日にはテニスのハシゴをすることになったことも付け加えておきたい。午前中はいつもの仲間でプレイしたが、午後3時からは初対面の人とゲームを楽しんだ。当然コートもいつもの野々市のコートではな…

非日常のランチタイムになった

ここ数日来今日まで、外出することが多く、意識が外側に向いていた。これまでの自分には珍しくよく喋っていたと思う。数日来天気が良かったこともある。花見の時期には、野々市の高橋川沿いから下って同じ水系の伏見川沿いまで歩いて、満開の桜に寄り添った…

定年後の人生がうまく進んでいる

昨年コロナで自粛することになった文学散歩を、今年はどうするかということになって、昨年書いた案内文書を探していて見つからなかった。データもパソコンに残っていなかった。今年は同じ企画でどうかと思って、メンバーの人に相談するのにそれを見せたかっ…

我に帰った時に感じたこと

サラリーマンの時は組織に属しているので、自分のことは後回しにしてみんなの事を考えるのが第一だった。その習性がついているので、定年退職後に自分のアイデンティティを確認するためにもがくことになった。ある意味、社会的な規制がなくなってわがままを…

どういう小説を読みたいか?

好みの作家があり、純文学に限っても様々な主人公の物語があって、一気に読めるものに出会うことは稀で、途中で投げ出してしまうこともある。今日読んでいたのは小説ではなく、評論だった。武者小路実篤の評論でトルストイからの影響で、華族でありながら自…

近況報告、みたいな

いつもこのブログに向かう時は、何か書きたい気分がふっと湧いたりしているのだが、今日は特別何か書きたいという衝動がない。日常はコロナ下という状況に慣れ、特に不便もなく穏やかに過ぎていく。もともと引きこもり体質であるのと、テニス教室や読書会仲…

新しいブログに向けて

先日書いたブログで、すでに人生の目的が自分や自分の家族のために生きることでなくなったと書いた。ということは、過去に自分のための人生を充実させることを目的にしていたことがあるということだ。そう、サラリーマン時代はずっと自分のことが最優先にあ…

便利さは墓穴を掘らないか?

何らかの制限が必要と感じ始めている。現代社会はネット環境やコンビニなど便利になって、簡単に情報が手に入ったり簡単に物が買える、ということに注意を向けたいと思う。例えが変かもしれないが、テニスでスキルの知識は簡単に手に入るが、そのスキルを身…

何のために自分は生きているか

67歳の定年退職者が、何のために生きているかと自分に問うている。既に自分の幸福のためや家族の幸福のためと思っていない。だったら社会や国の公正な運営のために、何か自分の力を活かしたいということだろうか?青臭いどこか偽善的な匂いがすると言われよ…

微妙な変化を作り出す

自分の行動を変えるには意識を変えればいい。自分を作っているのはほとんど意識なので、意識を変えることに注意を向けて自分をコントロールするわけだ。ぼくは本を読むことが意識を作ってきたと思っている。もとより環境が人間を作るのだけれど、環境を一定…

相手を尊重して生きること

穏やかな午後の日常をリビングのソファーに寝そべって、何もない今を楽しんでいた。何もしなくていいし、何かやることがあればすればいいという、余裕の心境にあることに気づいた。もう何年もその感じを失っていたように思う。全く久しぶりにその感じに触れ…

こころからの幸福とは何か?

昨日北陸では珍しくいい天気だった。雲が太陽を遮る時間はあったが長くは続かなかった。最高気温は2月なのに14度まで上がった。こんな恩寵のような日に、テニスができる仲間がいることが最高の幸せと思わなければならない。でも最高の幸せというよりも、普通…

目覚めた人になろうと決めた

メランコリーな少年が、強制収容所生活を経て、刑期を終えて出所後に、ようやく自由に生き始める人生が自分の人生のように思える。それは自分の心の声を唯一の真実として、湧いてくる想いに忠実になることを方法として「書いてみること」で自覚された人生だ…