開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

思考日記

自分に架けられている謎とは

ほんの微かな力の芽生えを体内に感じている。こんなことはもうこの歳になってからは感じたことがない性質のものだ。それを突き止めてみたくて書き出したのだが、何かを書きたいという意欲も「その中」にある。書き出すと止まらない感じも少し感じる。心に移…

歴史の時間性を尺度に考えてみる

今日久しぶりにテニスに来てた仲間がいて、最近何をしていたかの話になって、ぼくは能登町の真脇遺跡に行ってきた話をした。縄文時代の遺跡でそのほかの遺跡に見られない貴重なものが出土して博物館に収められていた。殆どが1万年前のものらしい。たかだか…

あなたはどちらの共感が強いですか

It is easier to sympathize with sorrow than to sympathize with joy. 最近また英語学習に目覚めてきて、たまたまこのphrasesに目が止まった。悲しみに共感するのは、喜びに共感するより容易いというのだ。確かにそうは言えると思う。なぜなら、悲しみに共…

小さく、細かく、丹念に。

いつも自分に向かって書いているから誰彼と遠慮する必要がない。これは書くという行為を覚えた人の特権のような気がする。全てはフィクションだとの了解があれば何を書いても自由だとしたら、自分の想像力を頼みになんでも書いてやろうとする作家というポジ…

自分は人生の敗北者か?

自分は人生の敗北者か、という問いを自分に投げかけたことがあるだろうか?結婚して子供ができなかったから、ちょっとは寂しい人生だったかもしれない。どんなことがあっても信頼を失わない友人はいないが、テニスや読書会などの同好の士には恵まれている。…

意識で遊ぶ

ぼくは68歳だけれど、昨年あたりから年齢が気にならなくなってきている。それまでは、ずっと定年後どう過ごすかみたいなことに捕らわれてきた気がする。「終わった人」とか「60からのゴールデンエイジ」だとか、「老後難民」などのワードが気になっていた。…

老いについて

若い頃は過去より未来が大きい(長い)が、老年になると未来が小さく(短い)過去が大きい(長い)。これは過去だけが確実な存在なのだから、本当は過去が大きくなる老年の方が豊かなはずだ。もちろん人生には浮き沈みがあり、良い時もあれば悪い時もある。…

自分を客観視すること

もうどうやってその人のブログに至ったかは忘れてしまったが、文章が上手くて読むとその人らしい流れや勢いが感じられて、あとで読めるようにURLを保存した。読者になれば済むのだが、その人のブログ読者は6人だった。どうして、いい事を書いている割に読者…

人類最初の原爆投下の日に

76年前の今日、広島に原爆が投下されました。これは私だけに起こった特殊なことでほとんど無価値なことだろうと思いながらも、誰かが読んでくれることを前提に書いてみます。日本人の誰もが被爆の悲惨さから、戦争はもうこりごりと感じていると私は思ってい…

謳うスキルと物語るスキルと

和歌や俳句などの「謳うスキル」と小説や評伝などの「物語るスキル」は、文化を発信し蓄積する上で欠かせないものだ。聞いたり読んだりする受容する力ではなく、止むに止まれない発情の、吐露の形式だ。ぼくにはこれが足りない。地元の公民館で読書会に参加…

社会学者Mへ

何か得意なものがあって 人より優れたところがなければ 相手にされない社会って 決していいもんじゃない、と 君は思わないか? 何から何までランキングして競わせて 勝者だけに女神の微笑みが与えられる みんな楽な方に行って無責任な観客になろうとする 何…

人生はゲームのように勝ち負けか?

人生に敗北はない、くたばらなければいいと書いてきた。しかし、敗北に気づくことは正しさを引き受ける人間だけができることだ。スポーツにおいては勝敗は明確である。勝敗にはそれぞれ原因があって、勝ちたければ負けの原因を把握して、原因を一つ一つ潰し…

自分とは矢印である

この対談は実に豊富な知見に満ちていたが、ぼくにとっては「私というものは矢印である」という、養老孟司氏の定義が最も腑に落ちるものだった。それは、現象学で意識とは指向性であるという結論と見事に一致したからだ。唯識についてはサラリーマンの時に概…

ぼくの発見した方法について

どんな風に書いたらいいか、ここでは思い悩まないことにしよう。自分だけのことだから誰にも迷惑はかけないはずだ。テニスをしたり、本好きの仲間とのおしゃべりだったり、ちょっとした楽しみのような恋心を秘密にしたりなどといった、日常の世界のことはど…

生活者の経済哲学は可能か?

以前のブログで、山本哲士氏の吉本隆明「日本経済を考える」講演に対する解説を読んで、ぼく自身の感想を書いていた。それは生活者にとっては経済から何を知ればいいのかという問題だった。今ある経済学は支配者の学であり、それを生活者の学にするには、支…

便利さは墓穴を掘らないか?

何らかの制限が必要と感じ始めている。現代社会はネット環境やコンビニなど便利になって、簡単に情報が手に入ったり簡単に物が買える、ということに注意を向けたいと思う。例えが変かもしれないが、テニスでスキルの知識は簡単に手に入るが、そのスキルを身…

微妙な変化を作り出す

自分の行動を変えるには意識を変えればいい。自分を作っているのはほとんど意識なので、意識を変えることに注意を向けて自分をコントロールするわけだ。ぼくは本を読むことが意識を作ってきたと思っている。もとより環境が人間を作るのだけれど、環境を一定…

自分を入れて距離をとる世界観

一昨日のブログ「目覚めた人の世界観」で、アメリカの大統領選挙を巡るトランプ対バイデンの抗争について、不正選挙を暴くトランプ側に正義があるとしてコメントしたが、それは自分のコメントとしてするべきではなかったことについて今日書いておきたい。つ…

古井由吉の小説には何かがある

今日うつのみやに注文してあった古井由吉の「書く、読む、生きる」が届いていたので、取りに行った。すぐに読んでみると講演やエッセイを集めた本だった。ぼくは「杳子」だけしか読んでいなかったが、すぐにその世界に馴染んだ。すぐに才能を感じた。三島由…

今ぼくの背中を押す流れ

毎日同じことの繰り返しのようで、気づかないように少しずつ自分が変化している。突然何の予兆もなくちょっといつもとは違った気配が現れる。内面のどこかからふっと漂ってくる、懐かしい感じ。ああ、これはぼくが屋根裏部屋のような自室に閉じこもって、夢…

自己紹介ができない

どうも自己紹介が苦手だ。わたしはこういうものですと言ってしまうともうそれは自分でないような気がする。わたしは何者でもない男です、では自己紹介にならない。只の人には違いないわけだが、それでは区別がつかない。名前を言っても興味を持たれることが…

無意味に向き合う

あまりにも人生無意味だとする無気力人間が多いので、むしろ人生には意味があるという方にぼくは賭ける。もっと正確にいうと、最初は意味はなくて、だんだん無意味に飽きてくると、意味を感じたくなるのだ。さらに言うと、少年のぼくの周りには意味があふれ…

一人称の人生を哲学する

ぼくは今生きている。幾分退屈してきたのでこのブログを書き始めることにした。妻は今晩の献立に仕方なく準備にとりかかった。安易な、スーパーで買ってきた刺身にしなかったのは、昨日回転すしのランチでたっぷりにぎりを食べたからだ。我が家では回転すし…

人生の意味を考えること

多分ぼくだけじゃなくほとんどの人が、人生には意味がないか認められないと思っていると思う。ずっと小説を読んできて、人生は無意味だというメッセージばかりだったように思う。いわゆるニヒリズムがあたりまえになっている。ぼくが信じている仏教でも人生…

構築的なパイプオルガン

いかにもドイツ的な構築力を感じる、教会音楽。ここでは敢えてバッハではなく、デミアンにも出てくるブクステフーデを紹介したい。ちなみに村上春樹は長編「1Q84」を予め構想することなく、バッハの平均律クラヴィーア曲集を基に書き進めたそうである。音楽…

人生の意味を考える

自分が生きて死ぬことにどういう意味があるのかについて考えてみたい。意味があったほうが充実して生き生きと人生を全うできると思うからだ。もし愛情に恵まれた家庭環境と職場で、生まれてから死ぬまで愛を感じられる人間関係を維持できて暮らすことができ…

読書をする人は二重生活者

ぼくは多読の方ではないけれど空白期間はあるものの、ぼくの人生の3分の2くらいは読書をしてきて本と共に過ごしてきた。サラリーマンの間の読書は仕事がらみであったが、それでも文学書や哲学などの思想書は時々手に取ってはいた。(つまり読み通せてはい…

物語装置としての「界」

以前このブログで「界」という概念について少し書いてきたが、今日はそれを自身の物語づくりの装置として位置付けてみたい。物語は自分史を書くこととほぼイコールなのだが、過去の自分の発見ばかりでなく自分の死に対する準備をも為す、ほとんど必須のもの…

未来は過去より重要か?

あるのは現在だけで、過去も未来も実在しないとする考え方にぼくも賛成する。その上で実在しない未来と過去のどちらが重要かを考えてみたい。未来は現在の選択によって自由に変えられるのに対して、過去は変えられないから未来の価値を重要視するのが大方の…

自分のことか誰かのことか

自分のことか誰かのことかを問うというのは、自分のために生きるか誰かのために生きるかを問うことではない。自分が好きか誰か他の人が好きかを問うことでもない。自分に関心があるか誰か他人に関心があるかを問うことに近い。さらに言えば自分と他人とどち…