開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

書くこと

自分と「同じ」があるもの

今日このタイトルで書こうとすることは、ぼくが集中力を持って取り組める条件についてだ。この条件を外すと途端に力が抜け、ぼんやりとして一人取り残されたような虚しい気持ちになる。自信に満ちている時と、気弱になっている時の違いは何なのかと探ってい…

会話文とは

水橋文美江脚本のノベライズをここのところ読み始めて気づいたことがある。水橋文美江さんはシナリオライターだ。シナリオというのは会話で進行する。会話があることで役者があるシチュエーションで行動できる。無言のまま行動することもあるだろう。しかし…

言葉の身体性

自分を知るには、やはり他人との比較というやり方が分かりやすい。どうしてぼくは、この人と違うのかという問いを自分と似たところのある人に設定して、自分に問いかけてみる。まず年齢が同じで趣味が同じで長期的な見方をするのも同じで、ブログも書いてい…

書くことによって鍛えられる何か

今関心のあることが遠い昔になっている定年退職後の年金生活者が、書くことが楽しくなってきていて、昨日に引き続いて少年の頃の自分について書きたいと思う。これを読む人には分からないと思うが、書く方は若い自分に書く間だけは帰れるので楽しいのである…

In search of something new words

自分の気づきを英語で書いてみました。 I started thinking about breaking into my own fantasy swamp. Because it's an environment where nothing changes even if you spend it like this. I came up with the idea of coming to the exit of society an…

書くとは「こころの故郷」を見つけること

なぜ書くかという動機について改めて考えておきたい。その動機に再び出会うことでこのブログを書き続ける意欲を持ち続けたいと思う。なぜ書くかの問いに、発見することがあるとサルトルは「文学とは何か」の中で述べている。書いて発見することがあるのと、…

小立野台の離れにて

もう45年も前になるけど、ぼくはセント・ヴィクトワール山の見える丘の家の離れに住んでいた。将来画家になるつもりもないのに、芸術家気どりのボヘミアンだった。むき出しの畳1畳分のベニア板を壁に立てかけて、街で拾ったビラやジャズ喫茶にあったポスター…

ぼくが話すとしたら

ぼくはこのブログで書きたいと思ったことをその都度書いてきた。書くのはあまり苦にはならないでスラスラ書けるのだけれど、話すとなると急に何を話していいか分からなくなる。それは話す相手が自分の目の前にいるからではないだろうか?一体あなたは誰?ど…

書く人の他者に開いていく自己

このブログという開かれたテキスト空間に随分馴染んできた。生身のぼくを知る人がもしこのブログを読んだら、果たして自分が知っている人間と同一の人間が書いているのか疑いを持つかもしれない。リアルでぼくが見せているこの自分と、ブログの書かれてある…

ひとり語りのような文体

昨日、斎藤美奈子の「日本の同時代小説」を読んで、「赤頭巾ちゃん気を付けて」と「ライ麦畑でつかまえて」の野崎孝一訳の文体が似ていて、一時期一部で流行ったということが書かれていた。60年代の雰囲気がそのひとり語りのような文体に表われていたのだろ…

詩を書くことに含まれるもの

言葉を紡ぎ出す、という行為がある。おそらく誰でもできることなのだろうが、慣れないとできないことかもしれない。思いつくままに書き出すという、自動記述法というものがあったらしい。意識の流れが文学手法として注目された時代もあったらしい。今そうい…

存在から詩が生まれる

どうしたら気力がみなぎっている状態になれるかを考えて、その状態にいつでもなれるようにしたいと、これまで何度も試みているがうまくいかない。少し前、ああ今は体に気力がしっかりついているな、と感じていた。そして、今その状態を書き留めようとして書…

問うこと

昨日のブログでぼくはこのように書いていた。 平凡で退屈なこともある日常の、現前しない環境の中に、かけがえのないものが潜在しているのを感じる想像力を磨き続けること。 しかし、どうやってそれを実行するのかが書かれていない。何事も実行されなければ…

転換し始めた意識(総集編)

これまで書く動機を支えていた主体形成の始源への回想がしぼんでしまった。それは定年後の自分の否定から遡って原因を探るものだったが、現在を肯定してもいいのではないかと考え始めたことと軌を一にしている。またそれは学生運動から切れることはあっても…

未来に何が待っているか

あと2ヶ月余りで66歳の誕生日を迎えることになっている。生物的活動というのは不可逆で使わなければ衰える一方なのだが、使っていれば鍛えられてあまり古くはならないみたいだ。週2回以上はテニスをしているので体力的には維持できていると思う。頭も脳は…

立ち止まり続けることはできない

昨日この小説の先行きが全く見通せなくなって軌道修正せざるを得なくなったと書いたが、そもそも筋書きはないわけだからそしてあえて筋書きを作らず書き続けるのだから、暗中模索なのは当たり前なのであった。ただゴールだけははっきりしている。自分の分身…

未来の小説

自分の書いた小説の中に生きるような実験的な小説を何かタイトルをつける必要があると考え始めて、二日目の小説を書き始めてみよう。タイトルは少し考えてから、「未来の小説」が書きたい小説を表しているので取りあえずそうしておこうと思う。あまりにも抽…

セカンドリブを書き始める

今から小説を書き出してみようと思う。正確には人々が小説と認めるような鑑賞に耐えるような文芸作品なのではないから小説とは言えず、でもそう言い張ることによって一つの実験をしてみたいと考えている。自分が書く小説の世界に自分が生きていくようにする…

今日を生きたか?

今日という区切られた偶然の1日をどう生きたか、という問題を設定してみたいと思う。何も特別なことがなく、目的からの1段階としてノルマ的な実施項目というものもなく、ただあったことだけは確かな、ごく普通の1日というものを考えてみたい。もしぼくの生…

私らしさという範囲について

自分の環境において、何に親しさとか自分と似たものを感じるかという問題について考えてみたい。人間はもとより動物であるから、好きなものや事を近づけ嫌いなものは遠ざける性質を持つはずである。だから私が成長する過程で、気も遠くなるほどの選択を繰り…

私という媒体を深く厳密に掘っていくこと

ブログに書くとき意識的に「ぼく」という一人称を使っている。「私」にすると改まった感じになるし、読者がいるとして読んでくれる人との距離を縮めて親密な、カジュアルな文体にしたいと思っている。昨日のブログで考えるという行為を特別にこだわってみよ…

自分を素材にして文章を書く

自分を題材にして文章を書くことに何かがあると思っていて、それは自分が考え続ける場所というものを作ることのような気がして、そのために書き続ける習慣を持つのがブログを始める動機だった。とにかくある程度のボリュームで書き続けることが必要なのだ。…

書いたものの中で生きること

これはカフカをめぐる自分の中のつぶやきにすぎないので、誰かが読んでも何の参考にもならないことをお断りしておく。、、、などと偉そうなことを言って自分にとってしか意味のないことを書き付ける場というものをありがたく思う。来月ぼくの住んでいる野々…

非日常の冒険

ぼくが好きなのは非日常だ。日常の惰性や安定を揺るがすちょっとだけ異常な世界だ。星野リゾートにはそれを提供しようとする姿勢があるから好きなのだ。もちろん小説が一番手頃なツールなのだがその提供者にはいろいろ好みがあったり、読者に厳しいか優しい…

無限知への入り口

書きたい欲望の根拠にあるもの その場所の存在模様 それは、無のような空間でありながら 無限に広がり 結び合っている それは、ブログ空間でもある 愛のエネルギー空間でもあるかもしれない 表現者、芸術家、哲学者、歴史家たちの 知の空間と 繋がっているか…

書く視点とはどこか

ぼくはどういう視点から書くかの存在論を問うてみたいと最近考えるようになっている。それは書くという行為には何か哲学的な課題がありそうだと思っているし、文芸評論や時事的な考えを情報発信する行為とは違う、もっと誰でもが本来することが求められるよ…

世界の片すみでぼくは書く

ぼくが小学生だった時に読書感想文を書くのは苦手だったように思う。いやそればかりか、作文そのものがどう書いていいか分からなかった記憶がかすかにある。夏休みの日記なら一日をどう過ごしたかを順番に書くか、一つの出来事について書けば良いのであまり…

再び書くこと

ぼくが書くことに関心があるのは、書くことで自分がはじめて存在できると考えているからだ。書かないうちはただ生きているだけという状態であり、ぼくはその状態のままでいることに耐えられないと思っているからだ。他人のことは本当はわからない。書かない…

「嘔吐」の書評者2

「嘔吐」を「社会学的分析」の対象にする読み方や、「嘔吐」作品が成立する様々な条件を「解剖学的読解」で読みとる読み方をこのブログ筆者は退ける。 なぜなら、私にとって自分の方を向いた「嘔吐」こそが問題だからである。自分の人生、自分の経験の中に「…

「嘔吐」の書評者1

書く視点を見つけるまでの意識の流れがテーマとなった小説は、世界文学の一つの重要なテーマらしく、あのサルトルの「嘔吐」もそうである。ぼくは退職してから読み通したが、一度20代に買って読んで途中で挫折していた。最近「嘔吐」をかなり深く読み込んで…