久しぶりに村上春樹の小説を読んでいた。あまり注目されなかった「中間的な」作品の「1973年のピンボール」である。村上春樹については毀誉褒貶相半ばすることがいわれているが、貶す人の中のリアリズムがないという意見には違和感を覚える。そういう人は文学に何を求めているのだろうか、そもそもリアルさには妄想もあるのが文学の世界なのだから、そういう人は別に小説を読む必要がないのじゃないかと思ってしまうのだ。カフカが「変身」を書いてしまったのだから文学を愛する人には非現実もありで、辻褄の合わない非現実さえなければウソの世界もありだと思う。そんなことより何が最も大事かというと、面白いことだ。このあっけない結論には苦笑してしまうが、「カラマーゾフの兄弟」を読んでとにかく話や登場人物が面白くて仕方なかった。そして「1973年のピンボール」も同じ体験をした。多くの人が村上春樹の小説の謎解きをしたりして楽しんでいるようだけれど、そんな面白さじゃなくて、自分も少し無気力になって小説の中で同じ時代や空間を生きているというリアルさにあると思う。