開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2015年8月のころの日記から

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「約束された場所で」を読む。オウム真理教信者を村上春樹がインタビューしたものをリライトした、いわばノンフィクションものだ。文壇からのデタッチメント(関わらないこと)を決めて海外で作家活動をしていた春樹が、自分の文学はやはり日本でしか成り立たないと実感して帰国し、社会へのコミットメントに移り地下鉄サリン事件を作家として取り組んだ作品の一つだ。もう一つは「アンダーグラウンド」として被害者のインタビューをまとめている。これらはあるいは「1Q84」を書くための現状把握だったのかもしれない。ところでぼくのこの本を読むまでの背景というのがある。背景と言っても客観的な外側をたどってもあまり意味がない。内臓的ともいうべき世界を書く必要がある。書くことによって過去の自分と対面する場が背景になる。それはぼくの青春時代から社会人になる人生の中間地点にオウム的なものがあったのかどうかを自省してみることでもある。

オウム信者の多くは「出家」して「解脱」するという仏教的な目標を持つ。現実世界に適応できず普通の生活にどうしても興味を持てないために、逃避か救いを求めて入信する。そういうことはあってもいいし、ぼくも似たようなものだったと思う。実際就職して中間管理職になりたての頃、社長からの「不意打ち」で存在を否定され自閉の時期を2年間過ごした経験がある。ただしオウム真理教は仏教の一つとはいえないと思っている。