開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

「1Q84」と私の接点

f:id:hotepoque:20180126101126j:plain

1Q84」を読んでいた頃の日記から


定年延長の契約を解除し無職となって、一人で自宅に引きこもるようになって半年になる。妻はまだ会社勤めなのでウィークデーは実際一人きりになる。この環境は自ら選んだとはいえ、最初の頃は帯状疱疹になるくらい、思ったより精神的につらいものだった。まるっきり何をしてもいいとなると、本当は何をしたいのか分からないので「理由」を見つけたくなる。意味のあることをしなければムダに過ごしてしまうというプレッシャーがあった。だから前半の三四ヶ月はプログラミングと英語の勉強を毎日続けていた。パソコンと毎日対面していてコンピュータの世界を探求して見ようかと思ったのと、英語が読めたり話したりすることはずっと前から憧れていたことだから。しかしそれは心の底からやりたいことではなかった。どちらも得意ではなかったし、自分がこれから生きて行く支えにはなりそうもなかった。認めたくはなかったが、遅まきながら60を過ぎて自分探しを始めていた。

自分を職業ではなく名前のある人間として、どこかに存在させたかった。私は就職前の学生の頃までもどって、職業以外に自分を定義する何かを見つけようと思い、小説を読み始めた。二三冊読み始めてから何となく「1Q84」を読まなければならないと思った。数年前仕事でお世話になったデザイナーのU女史が、友人から「1Q84」を読むように勧められていると聞いていたことが頭のすみに残っていたらしい。2010年に「1Q84」のBook3が発売され100万部を越える売れ行きを示していたので、デザイン業界でも話題になっていたのだろう。


1Q84」は現実の1984年とは異次元の1Q84年の物語である。読んでみると、現実に日本で起こったことが小説中に取り上げられている。メインはオウム真理教らしき団体だが、NHKは実名で登場する。読者はその物語に様々な切り口で謎を解こうとし、「入り込む」ことになる。(村上春樹の文学は読者を参加させることに本質があると私は思っている。)私は自分独自の方法で入り込もうとして自分と「1Q84」の接点を探していた。ふと思いついて自分の1984年に何があったかと思い返していた。それは自分と村上春樹を結びつけるのに十分な理由となるものだった。
私は1984年に妻と結婚していた。青豆と天吾が1984年に結ばれたように。しばらく村上春樹の小説の中で「生きて」みようと思う。