開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

1968年

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日記という空間には自分と対話したり、その場合は話す自分と聞く自分の二人がいるわけだが、自問だけずっとするような「独り言」の場であったりもする。今日は自問したい気分になっている。ブログを書き始めて1ヶ月経ったが、ブログという空間がぼくの書いた文章によってある程度のボリュームになり、ありがたいことに数人の読者がついてくれた。ブログを読んで何かを感じて繋がってもらえたことが、これを書き始める前のぼくの意識に変化を与える。

ぼくのブログは「イチキューロクハチ病」というニックネームを持っている。IDはhotepoqueだ。

1968年が熱い時代でありブログの筆者にとっては特別な年だったのだろうと推測させる。そう思ってくれるように付けたのだが読者はそれを感じてくれているかは分からない。1968年にはまだ生まれていませんと言われるかもしれない。例えば1945年は日本人全体にとって特別な年であり、ぼくの両親にとっても暮らしの全幅を左右する決定的な年なのに、ぼくは生まれていない。敗戦という事態は、一つの時代が終わって次が始まる、悲惨であると同時に開放感にもあふれていただろうと推測できる。1968年はぼくにとって1945年の開放感にその何分の1くらいは通じるものを感じさせる(幾分推測も入っている)年なのだ。