18歳のころのぼくは天井の低い、半分が手作りの木製ベッドが占める4畳半の部屋に寝起きしていた。北陸の晩秋から初冬にかけては、ロンドンと同じ薄暗い曇天の日が多かった。空が低かった。チラチラ六角形の結晶を持つ雪片が舞い降りてくる様は辺りをロマンチックな世界に誘い込むのだった。大学受験を控えてはいるものの金沢美大一本に決めていて、そこに集中することで焦りはなかった。集中すると周りが見えなくなるのは欠点とされるが、ぼくはむしろそこに自由を感じ取っていた。その頃ロートレックの世界にはまり込んでいた。A3くらいの大判の分厚い画集を図書館から借りてきて4畳半の部屋に持ち込み、高級娼婦の肖像画をガッシュ(不透明水彩絵の具)で模写していた。ベルエポックのモンマルトルの、華やいだ甘味な空気に憧れていた。フランスパンとチーズとミルクコーヒーがあれば十分だった。その時、18の青年の夢想と世紀末のパリが想像で結びついていた。今かすかにパリの路地裏の光と匂いが漂ってきそうになるが、すぐに消えていってしまう。それをつかみたい。それをつかめれば他は捨ててもいいとさえ思う。
そうだ、今こそ「失われた時を求めて」を読む時なのかもしれない。