開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

K先生との別れ

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自分がどういう風に生きてきたのか、何故そのようにしか生きられなかったのか、今原因をたどる想起に身を委ねていて、思い当たることを発見した。ああ、そうだったのかと今にして初めて合点がいくのは、過去のことではあっても前進なのではあるまいか?

たしか高校の1年の時だから1969年4月から19703月までになるが、現代国語の教師から読書の指導を受けていた。(ぼくの方から相談に行っていた)ぼくは今までこの先生には好感をずっと抱き続けていた。何しろ今でも思い出すくらいだから、この先生からの影響をぼくの人生でプラスの方にずっと入れてきていた。ところが、時代を改めて振り返るとこの時期高校でも学生運動が起こっていて、金沢でも反戦高連と反戦高協という組織があった。この先生は学生課のような部署にいて、生徒を政治から遮断する役割を果たしていたように思えるのだった。ぼくに白樺派の文学やロマンロランを読むように勧めていた意味が、そのように受け止められることに今気づいたというわけだ。

現代国語の授業は熱がこもっており、どちらかというと熱血先生だったと思う。ぼくは先生の朴訥な語り口が好きだった。あなたは、ベトナム戦争に加担する時の政権に対するラディカルな批判から、我が高校生徒の耳目をふさぐことを親ごころから担っていたのですね、、、ぼくは約一年間は素直に従っていたが、その後真逆の方向に進むことになるのは、あまりにもぼくを時代錯誤の状態に置こうとしたからじゃないだろうか?