開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

世の中は、支配する人と、支配される人にわかれている

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まず、以下の文章を読んでほしい。ネットで読書会を開催している人が書いたものだ。

アリストテレスいわく、『人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間たらしめている自然のきまり、おきてがある』その「自然のおきてやきまり」を『自然の法則(自然法)』といいます。じゃあ、その「自然の法則」というのは具体的に何なんだ?という疑問が湧いてきます。なぜ、あなたは、会社で働かないといけないのか?という問題から説明しますね。それにも、自然の法則が関係しているのです。なぜ、あなたは、会社で働かないといけないのか?

これはなぜでしょうか?アリストテレスだとこう答えます。「人間は、この世で、ひとりでは生きていけないので、社会の中で分業を担当して、暮らさないといけない。」まあでも、十分な財産があるとか、株式の配当や家賃収入だけで暮らしていけるという人もいます。アリストテレスのなぜこういう人がいるのかも説明しています。「世の中には、支配する人と支配される人がいる、これが自然の法則だ」では、なぜ、人間関係の悩みがあるような職場や家庭があるのか?

これは、世の中は、支配する人と、支配される人にわかれているからです。支配される側の人は、要するにサラリーマン(公務員も含む)です。サラリーマンは、支配されている側だから、どうしても、不条理な人間関係を押し付けられます。社会で分業を担当して働かないと生きていけないからです。でも、株主であるような人や、会社を所有している人、地主でマンション持っているような人は、働かなくてもいいわけです。不労所得が入ってくるからです。とくに、会社経営者は、人を雇って働かせることで利益を得ています。

あまり、いい表現ではないですが、社長がその会社のサラリーマンを支配しているのです。あまり認めたくないですけど、事実です。このように、社会は2種類の人間に分かれています。 「支配する人と、支配される人」これが社会における「自然の法則」なのです。人間が変えようとしても変えられない法則です。周囲の人を変えようとしても変えられないというのは、「自然の法則」は変えられないのと一緒です。

支配されるもの同士の人間関係の悩みが絶えないのも「自然の法則」なのです。だって、お互いに、支配される立場なので優劣つけるために、ケンカしてしまいます。人間関係の悩みは、ここにしか原因がありません。いじめも、セクハラも、パワハラも、これが原因です。なくなりません。これが、「自然の法則」です。でも、社長の言うことはだいたいは、聞きますよね。社長の命令を、素直にきかないと、給料減らされるし、ひどければクビになりますから。(まあ、素直なふりして、内心は社長をバカにしているかもしれません。)

総理大臣は、いうこときかない大臣をクビにできます。政府も、支配する人と、支配される人でできています。こんな「自然の法則」認めたくないですよね。学校では、自由と平等、民主主義を教えてもらったのに、社会にでると、実はこんな差別がまかり通る。だから、みんな会社に行くのが嫌になります。

 詐欺師は人をだまし、自分の作ったルールで人を支配しますが、それと同じような素質や手管が支配者=経営者には求められます。文学は、言葉=法律で支配されたその現実を物語を通して描くものだと思います。

 

これほど露骨に社会が、支配する人と支配される人がいるのは自然法だとして、変えようがないと割り切っている人の文章を読んだことがない。21世紀にもなっている現代社会の有りようを、あろうことかアリストテレスを引用して純化してこれ見よがしに書いている。アリストテレスはもちろん資本主義を知らないし、ヒトラースターリンも知らない。百歩譲って哲学者を引用するなら、二つの世界大戦を経験した哲学者にしてほしい。こんな読書会に参加している「無垢な」読書好きな人は、あっけなく騙されるだろう。ぼくが一番許せないのは、文学の役割がこの支配の現実を(その現実以外に現実があることを教えるのではなく)悟らせることだというようなことを言っていることだ。文学の役割は、支配されたその現実を物語を通して描くものとは反対に、全ては決められているとする世界に抵抗または反逆する物語を描くことにある。ネットの世界では何でもありになっているので、無情の世界で瀕死しないように気をつけてほしい。

*これまで、支配する人と支配される人がいるのは自然法だとして、変えようがない=ファシズムと理解していましたが、外山恒一氏のファシズム認識に納得して一部記事表現を改めました。(2020.7.9)