ブログに書いたことが自分に返ってくる。それは自分で自分を苦しめることにもなるので、自虐的であまり建設的なことではないと言えるかもしれない。そう捉える人がおそらく多いような気がする。とにかく今のこの日常を生きることが先決だとする価値観を持つ人が多いからだ。しかしたとえ今の自分に不都合なことであっても自分の真実なら、苦しくても受け入れるより仕方がないと諦めるしかない。自分には何となくしか人生の節目を「通過」出来なかったということが、64歳になっている自分には苦しい発見だった。それだけ無難に通過してきたのだから恵まれているよ、という見方をすることもできるかもしれない。大きな事故や大きな病気、身近な人の死や友人の裏切りに直面したりしたことがなく、それに戦争に行かなくて済んだ時代とのめぐり合わせなど、何となくやり過ごしてこられたことにむしろ感謝すべきだという声も聞こえる。ただそのように自分を納得させ、人知れず人生の幕引きを静かに進めるまで「達観」することはとてもできそうにない。本当は照れくさくてとても愛などという言葉を書くのも勇気がいったりするのだが、でも愛の方にまだまだ自分には知られていない深みがあるような気がする。例えばカフカの人類に対するような愛情の中に。