開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

転換し始めた意識1

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これまで書く動機を支えていたのは自分が主体性を作ろうとしていた思春期を回想して、その内実を再現することであった。定年後の再出発に当たってサラリーマンの定年からではなく、再確立された自己からスタートを期すということだった。それが今惰性に陥りがちになってきている。それは定年後の自分の否定から遡って新たに再構築されるべき根拠を探るものだったが、現在を肯定してもいいのではないかと考え始めたことと軌を一にしている。またそれは学生運動から切れることはあっても、世界観は受け継ごうと思っていることに変化が生じてしまったことも影響している。人間が作り出したものより人間そのものの方が優先する日常生活に生きるべきではないかと考え始めている。芸術より実生活の方が何倍も大切であり、現在の方が過去より何倍も重要であり、一人でいる自分より友人や妻と一緒にいる自分の方が何倍も大事である。

平凡で退屈なこともある日常の、現前しない環境の中に、かけがいのないものが潜在しているのを感じる想像力を磨き続けること。

要するにすべては現在のために過去のあらゆるものがあるのだ。現在を充実して生きるために、芸術があり、たとえ不幸や危機に陥ることがあっても、その表現がいかに巧みであってもそこから魂で回復してくる過程の方に、芸術の価値があるとするのが真であるように感じられる。