そうだ、この流れ(書く視点を見つけるまでの意識の流れ)を忠実に辿り続けていけば「オリジナルの世界を作る」壁は越えられそうだ。
叫ぶのは中にあるものを吐き出す方法がそれ以外にないからだ。青春のあの頃ぼくの中には何があったのだろうか?むしろ何もなくて叫ぶことさえもなかったのではないか?あの頃未来は閉ざされていた気がする。あらかじめ失われた青春という映画があったように記憶しているが、何もない青春の後は、誰かと同じようなすでに過去化された未来しかなかった。青春か、然らずんば死か、というのがぼくらの時代の基調であり自死する若者も珍しくなかった。ちょうど村上春樹の「ノルウェイの森」や、ユーミンの「ひこうき雲」のように。サルトルの「自由への道」のイヴィッチのように、田舎に戻って結婚することが死であった時代だった。
この前福永武彦の「死の島」を読んだが、あの小説中の萌木素子のいわば生理的ニヒリズムとは違って、ぼくらの時代はいわば観念的、形而上的ニヒリズムがあった。ぼくには心が空っぽだから、とりあえずマルクス主義だという感じだった。当時、小田実の「なんでも見てやろう」という本がよく読まれていたが、ぼくは世界を旅して回るという行動派にはなれなかった。すでに観念に満たされていて、身軽に行動には移れなかった。若い頃はなんでも吸収できる時期だからその頃の流行に飛びつくのだが、ぼくはどうしたわけか思想家とか文学者に気を惹かれた。埴谷雄高、谷川雁、大江健三郎、ランボー、萩原朔太郎、そしてマルクス。(ほぼ同世代の村上春樹や村上龍や三田誠広を読むようになるのはすでにサラリーマンになってからだった。)
時代の空気を吸うしかなかった。その頃自分がカッコイイと感じたものや憧れと同調することで、今を生きる感じを持とうとしたのだ。現実否定、現実逃避、宇宙や幻想、観念のアナーキズム、シュールレアリスム、詩と詩論、現代美術と現代音楽、文学と批評、存在論と革命、ニヒリズムの克服などに興味があった。