開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

書く視点の座標を求めて

          f:id:hotepoque:20180404224340j:plain

どこに位置を占めれば時代を見渡せるように書くことができるようになるかを、一応の目論見として書いてきたが、あまり成功したとは思えない。志望大学を間違えたという気づきの後、なし崩し的に美大に籍を置くことになって、どこにも自分の居場所が見つけられずに学生運動に近づいていくのだが、その時少なくとも最初のうちは自分の居場所のように感じられていた。だとすれば、その居場所とはどういう場所だったのだろうか?

今から振り返ってそこで体験したことを具体的に書くことはとてもできそうにない。個人としてのぼくの公的部分は、生まれて初めて歴史的・政治的立場をある団体組織とともに持つことになった。そのことで例えば、ベルリンの壁の崩壊や、ソ連邦の崩壊をもたらしたゴルバチョフの「改革」やエリツィンの動きなどはとても興味深く、ニュースに接してもある意味身近に感じられた。中国の文化大革命ベトナム解放軍にもシンパシーを抱いたりしたのは、この時期に反スターリン主義の思想に相当身を入れて自分のものにしたからだと思う。現在でも資本主義は非人間的な力で人間を支配するシステムであり、別の社会システムが可能でその実現に期待する部分がぼくにはある。もちろん良い面ばかりではなく歴史には暗い面もあり、少し政治的に専門化するがレーニンが主導したボルシェビキによる独裁は前衛主義の間違いとして、今ではとらえている。マルクスの否定までは考えていないが、その可能性もあるかもしれない。

そういうことも考えないと資本主義の外の社会システムは現実味を帯びたものにならないと考えている。まだまだ世界の歴史的現実を本質においてとらえるには、勉強しなくてはならないことが山ほどあるが、フェイクニュースに溢れるマスコミに右往左往しないくらいにはなりたいと思っている。つまり日本国内の政治にしても、国際的な視野の中の日本という視点でいつも見ることが大事だということだ。