開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

書く視点とはどこか

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ぼくはどういう視点から書くかの存在論を問うてみたいと最近考えるようになっている。それは書くという行為には何か哲学的な課題がありそうだと思っているし、文芸評論や時事的な考えを情報発信する行為とは違う、もっと誰でもが本来することが求められるような行為として、多くの日本人が自分を語るようになってほしいという期待もどこかにある。文筆を職業とする人たちの書くことではなく、素人で書くことの内容が定説や通説と合っているかどうかとか、特定の世論に与するものかどうかなどの視点ではなく、自分を自立した個人として成り立たせるために書くという視点を問題にしたいのだ。

自立とはどういうことか、抽象的な世界で自分を持つということも含まれているし、歴史的、社会的に要請される判断について(例えば憲法についてとか、人権や主権にかかわる問題とか、公教育にかかわる問題とか)自分の考えを持つということも含まれる。要するに職業的利害関係から離れて個人の資格で、無名であることや無力感に抗しながら、どこに自分の存在を位置付けるかという問題なのである。これはやはり哲学上の課題であるのではないだろうか?必ずしも哲学のプロの人たちの課題ではないのかもしれないが、一人一人の個人にとって切実な課題だと思う。

さっき車の中でFMラジオを聞いていると、ユーミンがゲストとなって例のアルバムについて語っていた。長寿ならではのコンサートツアーをやると、ぼくと同い歳のユーミンならではのコメントを語っていた。最後に「あなたにとって挑戦とは」の問いに対して「毎日です」と答え、「Mですか」というと「Mですよ、でもそれは自分に対するSでもある」と応じていた。作詞もするだけあって知性を感じさせる応答だった。それはぼくたちの時代だからこそというのもある、とぼくは心の中でつぶやいた。