開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

これからの生き方

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自分の行動や生活習慣や発想や好き嫌いなどには自分では気づかない制限があって、知らず識らずのうちに狭い世界に住み続けることになったりしてるかもしれない。嫌いなことが多い人は当然嫌いなことを避ける頻度が多いので、幾分狭い世界に住んでいるかもしれない。何事にも好奇心を抱く人は幾分広い世界に住んでいるかもしれない。ただ狭いのがダメで、広いのがいいかというと必ずしもそうとは言えない。世界には深さもあるからだ。狭くても深い世界を持っている人は、広いが浅い世界にいる人より容量の多い世界に生きていると言えるかもしれない。例えばテニスもゴルフも山登りもする人はテニスだけやゴルフだけや山登りだけする人より豊かな人生を送っているかというと、そうとは限らない。テニスが心底好きな人にはかなわないし、ゴルフや山登りが心底好きな人にもかなわない。これを恋愛に適用したらどうなるか。好きな異性が多い人は少ない人より幸せなのか、それとも好きな度合いが深いが付き合った異性は少ない人と、多くの異性と付き合ってはいるが好きな度合いは浅い人ではどちらが幸せなのだろうか?ただ付き合いの経験は多いほど深い関係になる確率が高くなる傾向はあるかもしれない、、、

生き方は難しい。ぼくがここで言おうとしているのは、今から意識的に世界を広げるべきなのか、広げずに深めるべきなのか、自分に問うてみたいということなのだ。定年退職してからの生活は会社という世界がなくなったので当然狭くなっている。そこで自分一人という狭さの中で、思いっきり自分の世界を深く掘り探ってみようとほとんど冒険するぐらいに夢中になって、少年時代や青春時代に戻って追体験を繰り返し、それを自分以外の同時代の小説家にも拡大して小説の追体験を通して自分の世界の拡大をやってきた。それは定年退職者の特権のようなもので、誰からも文句をつけられることのない楽しい体験だった。(そのおかげで会社にいる時より若返った気がする)

さてその楽しい体験も幾分新鮮味が無くなってもう夢中にはなれない気がする。別のことを始めたいという心の声が聞こえる。何か新しいことを始める時のときめきのような心の状態になりつつある。

これまでにやったことと違うことか、同じことでも違うアプローチの仕方をして、、、生き方を変えたい!