開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

セクハラにかかわる地殻変動のような動き

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小田実の全体小説「ベトナムから遠く離れて」を玉川図書館から借りてきて1日読んできて、第2章の初めの方で読み続けるかどうかを問わねばならなかった。おかまが主人公ではぼくには追体験は無理だった。戦争や学生運動が扱われていても主体に共感できなければ読むことはできない。小田実にとって何故おかまが小説に必要なのか、歴史は女性的なるものが作るということなのか?ニーチェ以後の思想史の文脈とのつながりはあるのだろうか?

現代という全体性、世界性につながるのは村上春樹の方であって、小田実ではない。

全体という概念は関係性だと思うが、弁証法的な動きというものはないのだろうか?関係性は同等質量なのだろうか?自然史的展開(発展?)が全体の基底を作っているとしたら、性もまた自然史のファクターではあるはずだ。今起こっている歴史的過程(つまり不可逆的)の一つに、セクハラにかかわる地殻変動のような動きがあるとぼくは考えている。