いつも心の支えを得るために彷徨っていた。他人のゲームを生きることで食い扶持を得る環境に生きるには、その態度が必要だった。学生の間その環境は直接的ではなかったものの、無視するだけの余裕はあった。環境はその当時「状況」と言い換えられ、その中での自分の立ち位置が厳しく突きつけられることも体験できた。
今は他人のゲームからは解放されて、自分のゲームを作る環境にある。ゲームとはルールの中の勝敗が決まる世界のことだ。残念ながら他人のゲームの中で人生の大半を敗者として過ごしてしまったが、少なくとも日本の歴史修正主義者のように敗者ではないとごまかしはしない。しかし敗者という存在性は精神を腐らせる力を発生させるとニーチェに教えられたし、無頼派の坂口安吾も最後に残っている自身の気力は、勝つことだと述べていた。他人のゲームから自分のゲームに転換すること、勝負には勝つことが大切であること、それが人生の真実だ。シェイクスピアも終わり良ければすべて良し、と言っている。ぼくはその終わりをこれから作っていく。