「知」には知識と思考があり、ハイデガーは映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)の中で、哲学は思考することであって知識ではないと哲学講義していた。いくら思考しても知識に行き着かない虚しい行為が哲学であると述べて、集まった多くの学生を魅了していた。ぼくの受け取った印象は、ただ深まりだけに意味がある世界が哲学なのだと言われて、逆にそれが最高の「権威」のように感じられたのだった。この印象はただ本を読んだだけでは感じられず、映画で発言と受容のドラマが表現されたからこそ得られるもののように思われた。
知識に行き着かない思考とは、知識に溢れた既存世界を一旦無化することであり、ハンナ・アーレントはそれによって、アドルフ・アイヒマンの裁判レポートを書き上げた時、ユダヤ人戦争被害者という思考の枠を超えて真実に到達していた。同じユダヤ人仲間からは冷たく傲慢だと批判されるのももっともなのだが、哲学にはそもそもそういうところがある。彼女をバッシングから守ったのはハイデガーが教えた哲学だった。