開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

2015年7月4日の日記から

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どこに行ったら君に逢えるのだろう。

いつか時代が過ぎて、過ぎゆきて 

どこにも君の面影を見つけられなくなった。

こんなにも変わってしまうなんて  楽観的なボクには想像できなかったよ。

敗北を重ねてみんな散っていったから 

共通する求心力を失ってしまったから。

反撥や引き合う心が存在して  身振りや眼差しに現れて、表して、

無為に歩いて永遠の交差を  愛おしむ人たちで街が溢れていた。

そうだ、ボクたちは目で分かり合っていた。

あの頃は敵がはっきりしていたんだ。

だからみんな仲間だと見ず知らずの人にも  馴れ馴れしくしていた。

セントラルパークに ダウンタウン・ストリートに 地下鉄に。

ファイティングマンが、命知らずのリーダーが  たくさん立っていた。

 

書くことが職業の人は、いずれお金になること以外に書くことは少ないだろう。 意味がないからだ。だがぼくは意味がないのに書きたいと思う。 お金にならなくても書くことには何かがあることを体験的に知っているからだ。 まず自由がある、流れがある、自分の中にあるものが言葉として外に現れてくる。 何かを生み出しているという実感に支えられて、書くという行為がぼくに何かを追加してくれる。 ビジネスには商品とお客が必要だ。それは売れる必要がある。それは何かを満たす必要がある。 テレビで毎日お笑いタレントが出ている。 彼らは人々の物足りなさや寂しさを笑いでまぎらわすことで、満たしている。ゲームも同じだ。 何かに熱中できれば充実した時間を味わうことができる。 日々をその場しのぎで過ごす多くの人の外で、ある目的を持って企む人たちがいる。 その人たちは資本主義社会をうまく維持する場にいる人たちだ。 制度の中にいてシステムを動かしている人たちが、 テレビや新聞、インターネットの向こう側に想像以上に多くいる。 時は金なり。すべてを金に換算できるので利益と損失が見えるし、 その網の目の中で合理的に過ごして幸福でいることが可能だ。 だが、3.11や尖閣を経験することで、効率とは真逆の事態にも対応しなければならなくなった。 例えば、東京一極集中がリスクとなるように。 私は会社勤めのしばりがなくなったので、何でも考えられるし、何でも書けるようになった。