開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

カフカ読みの始まり

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小説を面白そうだから時間つぶしに読むのとは違って、自分を精神的にタフにし、生きるエネルギーを来るべきときのために蓄積するように読むことが可能だろうか。「海辺のカフカ」の田村カフカ君はそのような読書を15歳で課せられた。

今日からぼくにとってのカフカ週間が始まる。「審判」を読み、途中まで読んだ「アメリカ」を再開させ、坂内正の「カフカ解読」を読み、確かなカフカ像をぼくの内に作りたい。カフカは何を文学に求めたのかを知りたい。カフカの小説に登場するのはどういう人物かを把握していこうと思う。

もとよりどうしてぼくはカフカを読む対象に選んだのか、自分に訊いてみなくてはならない。シェイクスピアバルザックプルーストを読むのとは違う趣向がある。どこか人間の存在深く切り込んでいく、謎の世界に導かれる展開力は独特のものだ。ドストエフスキーにも強力な推進力があるが、カフカはより孤立していて不安の中にどんどん追い込んでいく推進力だ。気付くのはその推進力にはどちらも幾分ユーモアがあることだ。どうしてだろう?あまりにも救いのない時、笑うしかないからだろうか?いや、どんな時でも笑うことでひとまずは自分に余裕ができるからだと思うことにしよう。

そうしてタフになるのだ、、、多分。