自分を題材にして文章を書くことに何かがあると思っていて、それは自分が考え続ける場所というものを作ることのような気がして、そのために書き続ける習慣を持つのがブログを始める動機だった。とにかくある程度のボリュームで書き続けることが必要なのだ。昨日はそれに失敗して途中でどうにも書く力が湧いてこなくなることが起こった。書いた文章に自分の匂いのような感触がなく、書く動作に自分を乗せるというか同期させることができなかった。書くことにもノリが必要なのだ。
昨日、小松左京の「日本沈没」を読書会に採り上げる約束を友人としていてその準備に考えあぐねていた。これも小説でSF小説と言われているけれど、でもそれは文学かと問うてみるとどこに文学としての芸術性があるのかと思うと急に書く気力を失ったのだった。ぼくは結局芸術性という曖昧な、しかし強烈な想像空間がたまらなく好きで、小松左京の「日本沈没」にはそれがなかった。小説という形式にはどんなことでも入れられるので、企業小説や経済小説という分野もあり、小説イコール芸術ではないのだろう。「事実は小説より奇なり」という諺があるように、事実や事件や歴史的な出来事を人に伝え、何か意味深い物語にするというのは小説に古来から求められていたことに気づく。ただ、それは小説とは呼ばずに小話や説話や物語と呼んで区別されているのだろう。そういえば近代的な小説らしい小説は、夏目漱石によって創造されたということをどこかで読んだ。
、、、ここまで書いてきてある程度のボリュームになった。この小さな達成感にいつも安心してしまってここらでブログにアップしようかとなるのだが、今日はもっと粘ってみようと思う。これまでと違って安易な妥協はしないと自分に言いつける。そうすると少しばかり成長するかもしれないと希望が湧いてきて、頑張るのだ。そうやって自分を成長させるのがこの「定年後の文学人生」なのだ。、、、と、オチがつくとまたここらでやめたくなるのだが、それも今日はやめずに書き続けよう。
さてようやく今日書くことのスタートにつけたような気になった。ぼくは現在65歳だ。石川県の金沢市の隣の野々市市というところに23年前に金沢から転入し、家を建てて住んでいる。3歳下の妻がいて子供はいない。年金生活者だ。ただ多くの年金生活者の同輩とやや違うのは仕事もボランティアも地域活動もせず、本を読むことを日課としてテニスで健康を維持し読書会で地域とつながっている。ここまでを最低限の生活として退職後4年かけて確保してきた。今、築23年の自宅の一部をリニューアルしている。浴室、洗面所、外壁と玄関ドア、屋根を新しくした。1階のリビングにもようやくエアコンを入れて、出窓を普通の窓に戻し機密性を高め、結露対策をした。近所に母が一人で住んでいて、買い物や病院通いに付き合っている。以上がぼくの外的環境だ。
これと同時に文学的、というのは内的実存的、環境を記述してみる。まずサラリーマンという被支配関係からは解放されてまるで学生時代に戻ったような自由な気分を取り戻している。自由なということは孤独でもあるし、無名の存在でもあってまだ生涯を掛けるような仕事にも出合っていない、無力感とも戦わなくてはならない。退職後はまず自分と同年代の作家の小説を読むことにした。主に読んだのは村上春樹でぼくの4歳年上になる。同年代を意識した女性作家では桐野夏生(2歳上)がいて「抱く女」と「夜の谷を行く」を読んだ。村上龍の「69」も読んだ。現代史の特異点である1968年からその名残りの1972年あたりがぼくの青春の時期でもあるので、その頃の今からすると奇跡のような「雰囲気」を自分の内面に再現しようとする欲望がある。以上が内的実存的環境だ。
内外の環境はそうだけれど、書くことでこれからぼくに作り出される環境というものについても考えてみる。その環境は拡張か、転移か、交代か、漂流か、進化か、深化か、それとも退却か、縮小か、断絶か?思い描いてみると深化と漂流に気が向くようだ。気ままに暮らしたいがどこかに芯となるところへ向かいたいとも感じる。文学でいうと古典の世界だ。ゲーテの「ファウスト」、ダンテの「神曲」、紫式部の「源氏物語」、、、これらの古典をこれから読むとして書く方は何を書いていくのか?
ぼくはいつ頃からかよくつかめていないが、日本人の一人として原子爆弾による被害をどう受け止めるのかぐらいは義務として自分に課すようになっていた。そういう発想で、戦争そのものや戦争に導かれる状況についての関心や、戦争を起こす国家というものに向き合う個人的立場で何が可能であるかなどに関心がある。書くとしたら個人の可能性ということになるが、具体的にどこに焦点を合わせるかは分からない。