The Beach Boys - Dance Dance Dance (1964)
数日前に村上春樹の小説を読みたくなった。どうしてかとその時の心境を思い出してみると、どこへも行くあてがないのにどこかへ行きたくなっていたように思う。この何も起こらない現実から逃れて、自己省察の旅に出かけたくなり村上ワールドに入って、主人公とともに生き方を考えてみたくなったのだ。そういえばまだ「ダンス・ダンス・ダンス」は読んでなかったと気づいたらすぐに泉野図書館に向かっていた。最初文庫本の棚を探してなく、単行本の方にあってほっとした。上下二冊を借りてきて家に帰るとそのまま読み始めた。いつもの文体なのだがほんの少しだけ日常性の現実感覚が増して、素直に書かれている感じがして今までよりは身近に感じられた。上巻で1日、下巻で1日と割とスムーズに読み終えた。
奥さんに逃げられてから最後にはユミヨシさんと結ばれそうになって終わっているので、読後感は「1Q84」の時と同じように幸せな気分で終わる。「そんなに簡単に消えないわよ」と言われて安心し現実に戻る終わり方だ。村上春樹にとって奥さんは、最終的には現実に帰ることのできる青豆やユミヨシさんのような人なのだろうと思われた。
それにしても彼の小説では多くの人が死ぬ。本質的に暗い小説なのだが、冗談やオシャレな料理や様々な音楽の挿入によって暗さがカバーされている。現実の世界では死なせるほどではないが、多くの自分の身の回りの人を傷つけていることの反映なのかもしれない。高度資本主義社会(何回もこの言葉が使用される)に生きるとはどういうことか、教訓的に思えることが幾つかあって、参考になった。
相変わらずセックスが随所に出てくるが、セックスの問題を重要視していることがわかる。今回最初の方のユミヨシさんとの出会いで、あえてセックスしなかったところにこれまでにない現実感を感じた。最後の方の場面で、男性に強く肉体的にも求められることが女性にとって深い満足感に至るシーンがあるが、女性読者にとって共感を呼ぶのではないかと思われた。(プロのコールガールは二人殺される設定になって対比されている)
もう一つ村上春樹の小説の魅力をいうと、小説の中の(書かれた)時間の流れと日常の(読者が読む)時間の流れがシンクロするようにポップな音楽と共に流れていて、十分小説の中で生きられるようにされていることだ。いわゆる細部もきちんと描かれて手抜きがないという印象を持つ。ぼくが久しぶりに村上春樹の小説を読みたくなるのも、そこでしばらく生きてみたくなるからだ。カタルシスを求める読者には村上春樹はクセになるのだ。