開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

謙虚なこころの存在感覚

つい先ほど午後4時頃にいつもの昼寝から目が覚めて、冷蔵庫から冷えた缶コーヒーをゆっくり飲んでいると、部屋の様子は置かれているものの配置などそのまま変わっていないのに空間感覚が変わっていた。自分が空間と同じ温度で包まれているようで、隔たりがなく、自分の心に少しのこわばりもないことに気づいた。満たされているという感じでもなく、シーンとして静かなのでもなく、全く何かに追い立てられている感じがせず、過去の幸福なシーンの既視感でもなく、時間が止まっている感じでもなく、不思議なことは一切ないごく普通の状態の中にいた。この感じを言葉で再現してみたくなったのだった。時間は止まっていないが今65歳であるという年齢については、全く意識しないでいられる。いやひょっとするとこれから老齢になっていくと、こんな感じを度々味わうことになるような予感がする。あえて言うなら、自分自身で自足し、サルトルのいう「即自存在」を実感できたと思う。ぼくの周りの空間がぼく自身の中に転位されていて自在感があった。

ちょっとだけ少し前を思い出して、その原因らしきことに思いを致してみると、午前中仲間とやったテニスの調子がすこぶる悪く、久しぶりに不甲斐ない自分を責めていたことに何かそれらしいものを感じるのである。つまり、自分のテニスはそこそこだと思っていた自己イメージを消して、謙虚なこころの状態になったのが良かったのじゃないかと思われた。あれは存在を更新できたのかもしれないと、大袈裟に考える癖のあるぼくは一人心地た、、、