開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

山本有三「真実一路」を読んで

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今月の野々市町公民館による読書会で山本有三の「真実一路」を取り上げる。10人のメンバーで当番制で課題図書を選んでいくのだが、今月は古株でどちらかというとリーダー格のNさんが選んだ。先月はぼくが選んだカフカの「判決」でNさんは、実存主義の文学という知識があってそういう目から作品を見たので、ぼくは「判決」のどこにそれを感じたかと質問した。彼女はその場でうまく答えられなかったのが悔しかったらしく、解散後しばらくしてから回答をメールで送ってきた。「(主人公が)金持ちの婚約者と結婚せず家も継がなかった、つまり既存のものを捨てたところ」というものだった。ぼくは「父が主人公の欺瞞を嘘と見破って死を言い渡すところ」と自分の見解も言わないとフェアじゃないと思い、返信した。つまりそれぐらいの熱心さでこの読書会は毎月運営されている。幾分Nさんの見解が社会的な見方をするのに対して、ぼくは個人の考えに主軸を置く見方をする。そのNさんが「真実一路」を選んできた。おそらく彼女の人生観がその選択に反映していると感じられる。

ところでこのいかにも時代を感じさせる「真実一路」という小説は、この読書会で取り上げられなかったら一生読む機会のなかったような、ぼくにとって全く死角にあるものだ。さて長編にもかかわらずスラスラ読めて感想は面白かったのである。戦前の平均的な(やや上のクラスかもしれない)日本人の人生が一つの物語として全体的につかめた感じがした。ちょうど「細雪」が関西の上方文化と一体となった人生物語を見せてくれたように、「真実一路」はシリアスな、知識人的でない普通の人の生き方を見せてくれた。