サマセット・モーム「月と六ペンス」を読み始める。最初の方は主人公というか話し手が作家なので、イギリスの文芸事情とか業界的な話が幾分気取った文体で書かれていて、とっつきが悪かった。今朝ようやくゴーギャンモデルのストリックランドとパリの場末のバーで、話し合う場面までこぎつけた。ぼくのこのブログもしばらく書けなかったのが今書いてぼくにとっての現実感覚を取り戻せた。
今日しばらく前まで、久しぶりに憂鬱というか被害者意識に囚われていた。こんなところでくすぶり続けて、、、みたいな感覚だ。ここは自分の居場所ではなく、少しも知的な刺激がない田舎だという、外部環境を現実と思ってしまう状態に落ち込んでいた。とにかくそういう時は何でもいいから書かなければならないのだ。石牟礼道子さんが鬼のように書くことに執念を燃やし続けていたことをちょっと思い出した。
昨日の夜、試しにカントの「純粋理性批判」の序の部分を読んでみた。カントが読者に話しかけていた。本題に入る前の呼びかけのようなカントの肉声が聞こえてくるような部分だ。哲学という学と単なる思い付きに終わる頭の働かせ方の違いについて述べていた。ぼくは先日の池田晶子からのメッセージを受けて、自分で考えることを身につけようと思った。カントは自分で考えることを教えてくれそうだと感じている。今、序に過ぎないがその感じにリアルさを感じている。
哲学書は夜読むのがいいみたいだ。夜は外界が消えて内面に入りやすい、、、