開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

10月初旬の爽やかな空気に

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10月初旬の爽やかな空気は同じ皮膚の体温が

ぼくの連続した過去の同じころの生活感を甦らせてくれる。

あらゆる生物にとって温度というのは決定的な環境要素だと思われる。

例えば海温が1度違えば海中の生物にとって危機的な異変と感じるはずだ。

今日は秋晴れで仲間とテニスをしていてとても気持ちが良かった。

秋晴れの日の夕方も夕餉を準備する街の空気がいつもより、生き生きと感じられる。

そしてこの街の夕暮れ時の満たされた空気が、ぼくの一番自由だった19のころの

精神状態にしばし連れ戻したのだった。

ぼくは自宅の離れに部屋を与えられていた。それは台地の端に作られているので

部屋の西側は崖になっていて、窓からはセントヴィクトワール山のような

なだらかな斜面を見ることができる。

夏の夜は、支流を流れる川沿いで行われる花火大会の特等席にもなる。

連れ戻されたのは、美大に幸いにも受かって最初の年だった。

試しに初めてキャンバス8号に油絵を描いてみた。

李麗仙の肖像画を燃えるような暗い赤の下地に浮かび上がらせたが

のめり込むほど熱中はしなかった。

具象よりもその頃注目されていた、アメリカのミニマルアートに

霊感を感じて、自分でも黄色とブルーの棒グラフのような図をポスターB全に描いて

部屋に貼って眺めていたこともあった。

そんな時期があったことが不思議に思える、ぼくにもアートの入り口が

開いていたこともあったのだ。ただ何となく自分が心血をそそぐ世界のようには

思えなかった。19のころは、人生で精神のままに居られる若さの気配を

確実に作っていたのではないだろうか。