ぼくの生きている時代にとって二人の人物が大きな影響力を持っているのだが、それは個人的な事情なのでほとんどの人にとってはスルーされて当然のことになる。それでも書くのはその二人の人物が現代においてとても大きな影響力を示していて、同じように影響下にある人の興味を少しは示すかもしれないと感じたからだ。
その人物とは、村上春樹と松岡正剛だ。今では読書家を自認する人は必ずといっていい程参照すると思われる「千夜千冊」サイトの作成者である松岡正剛が、あの「ライ麦」を取り上げて、
大のサリンジャー派の村上春樹は、コールフィールドはメルヴィルの『白鯨』、フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の主人公たちに続くアンチヒーローで、そこには「志は高くて、行動は滑稽になる」という共通の特徴があると言っていたものだが、この大袈裟な指摘もまったく当たっていない。
と、書いているのに出くわしてしまったのである。ぼくの青春も「ライ麦」に自分を見る方なのだが、松岡正剛にこう書かれてしまっては、村上春樹をとるか松岡正剛をとるか、どちらかに決めなくてはならなくなった。「ライ麦」の主人公コールフィールドがアンチヒーローだとして、村上春樹の指摘が全く当たらないと批判されている。おそらく作家と批評家の立場の違いがあるからだと思うが、ぼくは村上春樹がコールフィールドに共感する方に文学と生きる価値を見出す。愛すべきコールフィールドと同じ立場に立って寄り添う方にぼくは自分を賭ける。松岡正剛は別の高みに生きていると思う。文学や思想を生きてはいるのだろうが、ぼくにはヘーゲル主義のように感じられる。