あえて文学的出発点という言い方で書いてみるが、言葉で自分をとらえて生きる時空間を作り出す最初の契機に、このところ関心が湧いてきている。村上春樹を定年退職後にふと気づいて読み始めたのは、同じ時代を生きて世界文学に通じる小説家をとりあえず読書生活の文学的出発点にしようと考えたからだ。
昨日加藤典洋の「村上春樹はむずかしい」(岩波新書)を読んで、村上春樹の文学的出発点が確固として作られていることが、ブレない大作家へと成長する過程を追う中で浮き彫りにされていく論理展開に触れた。成長する作家、戦う作家、現代に生きる普通の人々に寄り添い、文壇からのアウトローとして書き続ける作家、、、。そういう印象をもった。現代の文豪という位置付けはその容貌からはいかにも似つかわしくないが、時代に対する影響力の大きさには文豪という歴史的形容に耐える作家だと思う。
世界に生きることを時間の中で強制されて、人間性を失わずにいることはどれ程の体力と知力を必要とすることかは、大きな災厄や事件に遭遇して改めて思い知らされる日々である。これほどタフになるよう求められている時代はない。思春期に心を保つ武装をもって生き始めると、人を愛せなくなる時代的運命を抱え込んでしまうが、そこからいかに脱出していくかを身をもって教えてくれるのが村上春樹だ。