開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

「笹まくら」を読んで

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丸谷才一の名著とされている「笹まくら」を読んでから二、三日が経っている。いつもだったら読後すぐに感想を書いてこのブログに記録することにしているのだが、ただぼうっとして衝撃が冷めるのを待っていた。つくづく思うのは、主人公の浜田庄吉(徴兵忌避逃亡中は杉浦健次)の時代に生きることがなくて本当に良かった、ということだ。ぼくは日本人の生きるのが最も過酷であった時代が子供の頃から恐ろしく、確か「黒い雨」を読んだ頃だったからもう30代後半くらいだろうか、それまでずっと(過酷な時代のことを)知るのを避けてきていた。日本人の一番悲惨なことが原爆でそれに立ち向かうために「黒い雨」を読んでその事実を身に引き受ける事が出来てから、次の「課題」は赤紙が来ることの恐怖をどう乗りこえるかだったが、そのために「笹まくら」を読んだのだった。全くぼく個人の偏った読み方だがそれでなくては体験というほどにならないと思っている。文学者を通じての体験にすぎないが、身内からは全体的な過酷さは知り得なかったので、知りうるには小説が手短かであり、読み方がしっかりしていればフィルター越しであっても真実はつかめると思っている。

さて、浜田庄吉の逃亡は5年間に及んだ。本人ばかりではなく両親の苦しみ、姉と弟が受ける苦しみもある。逃亡の旅先で出逢う恋人と恋人の実家の母親の受ける「共謀罪」の恐怖。執拗に迫る特高職務質問をかわす必死の機転の良さは医者の息子である主人公ならでこそと思わせる。インテリでありながら砂絵屋という香具師もこなしきるキャラクターの幅の広さ。とにかくなんとか逃亡は成功する。戦後がやってくるが生活の平和は20年後に奪われる。戦前と戦後は徐々に近似性を帯びてくる。そして今は、戦後が終わって新たな時代がくると思いきや、戦前となにも変わってない現実を迎えているように思える。