開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

偽りの人生を捨てた男の物語

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この世界では生きていくためには働かなければいけなく、何か職につくか自ら働く場を作り出すかしなくてはならない。アスリートや芸術家のように才能が年少時から認められればプロの道もある。研究者や学者の道もあるが、先生や周りの環境に恵まれている必要がある。自分の才能に気づけず、自信が持てずに周りを見ながら進む道を探していくような凡人には、嫌なことも我慢して好き嫌いなどをいうことは贅沢なこととして生きていくことになる。自分を騙し、周りに気を遣い、仕事では競争に勝つために戦うという人生が待っている。どうしたら多くを稼ぎ出すかを競争する人生だ。

それを偽りの人生とある時、心底感じ取る人間もいる。サマセット・モームが描く「月と六ペンス」の主人公、ストリックランドもその一人だ。

成功した証券マンとして裕福な家庭を築いてきた人生は偽りだと気付いた、その意識の転回点については描かれていない。それは謎としてモーム(と思われる作家)を終始惹きつけている。ただその気づきは妻子を捨てるほどの確然とした決意をもたらせた。恋愛と同じだ。日曜画家でもあったゴーギャンがモデルになっているから、絵画の中の世界に恋してしまったのだ。絵の中に本当があり、生きている世界には偽りしかないと固く信じ込んでしまったのだ。ちょうどジョン・レノンがロックの世界だけがリアルであって、そのほかはすべてノン・リアルだと言い切ったのと同じだ。

ゴーギャンの絵は最初はうまくなく、天才型ではなく、憑かれたように努力するタイプだ。だんだん上手くなっている。タヒチが自分本来の場所だと感じるのは、おそらく父の失業のためペルーに4年間ほど住んでいたことが影響していると思われる。原始的なものが真実と感じられたのだろう。

それにしても彼の家族や彼の才能に心を奪われた同業者のダーク・ストルーヴの家庭は悲惨な目にあうことになる。このダーク・ストルーヴとその妻は実在したのだろうか?脇役ながらドストエフスキーを思わせるような筆致に、ぼくなんかは割と感情が動かされた。

作品とともに作者であるモーム自身にも興味がある。晩年の10年くらいが精神的に悲惨であったようだ。経済的に成功した作家ではあったが、その人生を悔いていたようだった。終わりよければすべてよし、ではなかったらしい、、、