また考えるためにこれを書き始める。本当の引退を考えてみる。一昔前だったら65歳という年齢は引退していい時期だった。人生の秋のイメージがふさわしい。ところが意地を張って若い頃に返ってセカンド・リブという生き直しを仕掛けている。当然いつかは無理が祟っていっぺんに老け込むかもしれない。今、ハイドンの弦楽四重奏を聴いている。学生の頃は「十字架上の七つの言葉」を夜になると聴いていた。この前バッハのシャコンヌを聴いてから少しはまっている。多分その影響で引退生活を考えてみる気になったのだろうと思う。ヘルマン・ヘッセは余生を庭仕事に没頭していた。モネは自宅に庭園を持っていて池と花に囲まれる幸せな晩年を送っている。ランボーとゴーギャンの晩年は悲惨なものだったけれど、自分の理想に生き切った満足感に中で死んだと思う。
引退生活とは本当は価値のないものだろうか?それは生産をしないから反資本主義的なだけで、人生を豊かに作り直すために与えられた絶好の機会なのではないだろうか?
今読んでる本は、加藤陽子という東大文学部教授の書いた「それでも、日本人は戦争を選んだ」なのだが、これは戦争を知ることを義務のように考えているぼくの必読書と感じてるものだ。女性で戦争を研究してるのは珍しいが、もちろん残忍な戦闘場面だけが戦争ではなく、近代国家の歴史を研究しているのだ。どうしても歴史の学問となると為政者の現実論理となって、人々は戦争に駆り出されて敢えなく死んでしまう運命に巻き込まれる。戦争をしないために戦争をするという論理もまかり通ったりする世界だ。
戦争なんて考えずに引退したい。しばらくそうしてみよう。自分にだけのささやかな実験なのだから、、、