開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

役に立つということ

昨年11月4日の記事だからもう随分経過しているのに、今日このことを思い出した。

「役に立つなら」村上春樹さん自筆原稿、早大に寄贈

気になったのは「役に立つ」という言葉だ。自分の資料の散逸を心配して母校の早稲田大学に寄付するというのであるが、そろそろ老いを自覚して自分の死後のことを考えたのだろうか。ここで何気なく使っている「役に立つ」という言葉が、どういうわけか現在のぼくの存在に響いてくる。死を前にして最終的に考えるのはそのことなのかという感慨なのである。誰でもいいから誰かのためになったと信じて死ぬことができたら、幸せだろうと人生の結論のように感じたのだった。

ぼくの場合はどうだろうか?サラリーマンの時、自分のデザインでお客の事業が拡大したことがわずかばかりあった。その時は役に立ったと思う。退職してからはそういうはっきりした結果は目にすることがなくなった。

もう自分のためにしかやることがないのか。自分のためでも十分ではないか。ただ、誰かのためと分かるとはっきりとした満足感がある。それはおそらく人間の本能なのだろう。本能には従った方がいい。だからもう一度、役に立てることを探してみようと思う。