平野啓一郎の「本の読み方」を再読していて、カフカの「橋」の読み方のページに大いに賛同できるくだりがあった。、、、カフカ文学とは、後世に書かれた注釈や研究書などを全て含めた現象の総体だ、というのである。どうだろうか。文学は作者と読者の共同作業であって、作家が偉くて読者は作品をありがたがって吸収するだけではないというぼくの元来の見方を支持してくれるものだ。ただ作家よりも批評家が上に来ることはありえないとは考えている。それと、カフカ文学現象の総体に関わることは「カフカコネクション」に参加することであるとも述べていて、コネクションという言い方が洒落ていると思った。
ぼくがカフカを特別な作家としているのは、カフカが生涯職業作家にならず、出版社の意向や同業者の存在に左右されずに純粋に自分の世界を作れたことにあると考えている。彼はサラリーマンとして収入は確保できていたし、労働災害保険局の仕事にも手を抜かず真面目に取り組んでいたようである。ある意味安定した職業環境があったからこそ、小説では奇想天外な想像世界に生きられたのはないだろうか?これらはぼくの勝手な憶測なのであるが、これから「カフカコネクション」にもっと深く関わっていくことで秘密が解明されていくことだろう。いや、もっと分からない世界にはまり込んでいくことになるかもしれない。でもそれはどちらかといえば楽しみなのだ。