開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

(公論)遺伝子組み換え作物の問題

日本のマスコミでは全く報道されない、遺伝子組み換え作物の問題。資本主義システムがいかに生態系までおかしくしていくかに付いて書かれている。少し長いが読んでみる価値は十分ある。もちろんマルクスエコロジーに付いても先覚者だった。

以下印鑰 智哉 | Facebooky より引用させていただく。

 

最近、書いたものを見返していて農薬や化学肥料について書いた投稿がやたらと多くなった。なんで書くようになったのか、振り返ってみたい。
 書き始めたきっかけは以前滞在して活動していた南米の情報を再び追い始めたのがきっかけだった。あれこれブランクがあって、南米の状況は継続的に追えていなかったのだけど、追い出し始めると、にわかに信じがたい事態を知らせるものばかりで驚きの連続だった。
 アルゼンチンでは全農地の65%近く、ブラジルでも半数を超す農地が遺伝子組み換え大豆などに覆われてしまい、農薬の被害をブラジルではMST(土地なし農業労働者運動)などの農民団体やアルゼンチンでは大学の学者組織も告発していた。ガン、皮膚病、呼吸器系の疾患などが急増しただけでなく、小農を土地から追い出すために農薬が飛行機から家にまき散らされるような人権侵害事件も起きていた。いってみれば南米では隠されたベトナム戦争が起きていると言ってもいいだろう。そして、その大豆は日本にも来ている。実はブラジルでの大豆大規模栽培は日本政府がODAを使って、ブラジルが軍事政権だった時代に始めている。その後、その大豆は遺伝子組み換えへ。そしてブラジルは世界一の農薬消費国へ。
 ここまでの事態が起きていながら、日本では何も報道されない、その実態をまず知らせなければならない、というところから始めた。でもブラジルから発信されているのは告発だけではなかった。こうした農薬や化学肥料に基づく工業的な農業に代わる農業のあり方の提案がなされていた。それは農薬も化学肥料も使わないアグロエコロジー。しかも、それはもっとも貧しい土地なし農業労働者たちの運動からのものだった。単なる夢や理想論としてではなく、すでに実践され成功を収めたものとしてその実践を広め、遺伝子組み換えや工業型農業の拡大と闘うために発信されている情報だった。欧米の遺伝子組み換え反対の運動よりもその情報には説得力を感じた。
 実際に遺伝子組み換え作物の問題を辿っていくと、農薬や化学肥料の問題にぶち当たらざるをえなくなる。さらに遡れば戦争や国家との関係も見えてくる。農薬や化学肥料では解決できない問題があり、しかも、それが今の地球の生態系の危機的状況と結びついていることも見えてきた。
 今、原発や火力発電に代わって再生可能エネルギーが急速に伸びてきており、日本を除けば、再生可能エネルギーに転換しつつあるといえるほど、世界は変わりつつある。それと同様に今、農薬や化学肥料に依存した農業から転換する動きは世界では大きなものとなりつつある。その流れを知ることができた。
 
 現在、農薬や化学肥料を使っている人を非難するつもりはないし、そのために書いているのではない。農薬や化学肥料を集約的に使った農地では土壌微生物の活動がほとんど見られなくなる。だからいきなり使用を止めてしまったら生産は大打撃を被るだろう。だから、農薬や化学肥料を直ちに止めることを要求することなどできないし、すべきでもない。しかし、同時に使い続けてももう先がないことも見えている。

 問題はどう転換するか、だろう。土の中に微生物が甦ってくるには時間がかかる。幸いなことに農薬や化学肥料の使用を減らしながら、微生物を甦らせることは可能なようだ。そして、それをやってくれるのも植物の力。米国での工業的農業によって疲弊した農地でもカバークロップ(農閑期や作物の間に植えられる土壌を覆う植物)を植えることによって土が甦ってきた、結果として農薬や化学肥料を減らせたという実践は向かうべき方向を示してくれていると思う。
 石油や天然ガスを大量に使って作る農薬や化学肥料の時代はもう終わった、ということは化学企業の側も一定わかっているけれども、すぐに転換できないので、まずは化学製品をどう在庫処分して利益を確保するかが今の戦略なのではないか? 規制・禁止を少しでも遅らせて、在庫処分ができればそれで彼らの勝利になる。その稼げている間に、ポスト化学、ポスト石油に向けて、彼らも微生物の力を使おうとすでに手を打っている。ただし、彼らは微生物の力を使って自然な農業の方に向かうのではなく、バイオテクノロジーで遺伝子操作して世界の農業生産を支配する方向を向いているようだが。
 現在のバイオテクノロジーは核のエネルギーでお湯を沸かして発電する原発イデオロギーと変わりがない。本来のあるべき研究が企業の利益でゆがめられたものとなってしまっている。生命の力はそんなものよりももっと大きな可能性を秘めている。それを生かす社会を実現することは決して夢物語でもなく、現実に一部では実現し始めている。現在の日本がそれといかに真逆の方向に行ってしまっているとしても、まともな方向に変えていくことはまだ可能なはず。でも、その違いを知らなければ永遠に不可能なままだろう。だからまず知りたいから情報を探す。読むだけでは忘れてしまうのでメモを残す。
 
 こちらの意図はだいたいこんなところだ。当たり前に使われているものの害について書けばそれで不愉快になる人が出るのは避けられないかもしれない。でも、どう受け取られるかまで責任取れと言われれば何も書けなくなる。人に受ける/受けないではなく、あくまで自分のためのメモとして今後も書いていきたい。