馬はすべて黒い
蹄鉄も黒い
マントのうえには
インクとロウのしみが光る
彼らは鉛の頭蓋骨を持っている
それゆえに泣くことはない。
エナメルの魂を抱いて
街頭をやって来る
猫背で夜行性で
彼らが引っかき回すところには
どこにでも黒いゴムの沈黙と、
細かい砂の恐怖を命じる。
通ろうと思えば通り、
非現実のピストルの
漠とした星学を
頭の中に秘めている。
これはガルシーア・ロルカの「ジプシー歌集」に収められている「スペイン警察隊のロマンセ」の冒頭部分だ。この詩集には警察隊という言葉が、この詩のようにタイトルにつけられている他、他の詩中に何回か出て来る。その印象を素直に「ロルカには警察がよく出て来るけど、、、」と友人との読書会の時に友人にぶつけてみた。そしたら友人は「ジプシーと警察はつきものだから」とこれまた素直に答えたのだった。その時ぼくは何か違和感を感じたのだけど正体がわからず、その時はそれ以上話が弾まず読書会自体もいつものように進展しなかった。
ぼくは相当頭の回転が鈍いのか、ようやく今になって(一週間ほど過ぎて)違和感の正体に気づいた。「ジプシーと警察はつきもの」だって!よく言うよと呟いていた。何か裏切られたような、侮辱されたような気分がじわじわと湧いてきてついには自分が腹立たしくなってきた。彼にロルカを読む資格はないし、そもそも文学には縁のない部外者だとその友人を思うようになった。彼と読書会をしてきた自分が馬鹿だった、、、
君はどこにいて詩集を読んでいるのか? ジプシーと警察が対峙しているのに高みの見物なのか、訳知り顔の評論家の面をしやがって、それでよくアムネスティの活動をしていられるななどと決して口に出せない非難をしてみる。
これはぼくの問題である。大昔であるが機動隊と対峙する場面がいくつかあり、その時の緊迫感を経験していれば「スペイン警察隊」の詩は肌で感じ取れるはずだ。「ジプシーと警察はつきもの」はぼくに対しても向けられた評論家的な眼差しだ。
この経験は、抽象化すると「界」における「機」であるように思える。「機」が開示したのだ。さて、ニーチェは、友人には目を瞑るものだと言っている。