開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

インターネット空間で鬱憤を晴らす人

結果的・現象的にはそうかもしれない。ただ、ぼくが自由でいられる環境は「相手の顔が見えないインターネット空間」が仮想空間だからだ。虚構空間よりは生きている感じがして、小説のような想像空間よりは現実的なつながり感があるということだ。

ありのままのリアル世界では自由にものが言えないのは、認めざるを得ない。だからFBではいくぶん自己欺瞞をしている。ブログに書いているようなことは、知られると説明がめんどうくさいので「心の中に」しまっている。

ただ、鬱憤を晴らしているだけではない。書くことで考えている空間と時間をブログで確保しているといったほうが正確だ。ブログを「相手の顔が見えないインターネット空間で鬱憤を晴らす」ことにも使えるが、自分を成長させることにも使える。道具をイチローのように大切に使えばいいのだと思う。