開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

もう一度高校時代に還ってやり直す

62歳で会社を辞めてから第二の人生をどうスタートさせるかで、試行錯誤をしてきた。定年になったら悠々自適のイメージをサラリーマンだったら誰でも持っているようにぼくも持っていた。実をいうとぼくは会社を辞めたら起業するつもりで、63歳まで会社にいるつもりだった。ところが会社は余裕がなくなって、ぼくを企画関係で雇うことができなくなって製造部異動を命じた。さすがにこれは受け入れ難く退社することを決めた。当然妻には猛反対を食らった。そして僅かな年金と妻の給料で細々と暮らす年金生活者の生活を1年ほど送ってきている。何よりも自由に時間が使える環境はサラリーマン時代には味わえない貴重な「贅沢」だった。自由な時間を使える環境はぼくを学生時代の気分に連れ戻した。ぼくの学生時代というのはもう40年以上昔に還ることになる。ぼくは好きなだけ自分の青春時代の思い出にふけった。自分だけのおそらく風変わりな高校時代を思い出していた。金沢という地方都市でもあの頃は学生運動があり、高一から世界文学全集を次々に読み漁っていた文学少年はオルグのターゲットになってしまっていた。それは大学受験の期間を隔てて大学時代にも継続することになった。その時代の経験は意外にも今になってもリアル感を失っていないことが分かった。第二の人生をもう一度高校時代に還ってやり直すというとんでもない「企画」を思いつき、退職して最初にやったことは、自分と同世代の作家の青春小説を読んで追体験してみるということだった。三田誠広村上春樹桐野夏生を選んだ。さらに高一の時に読んだ小説「ジャン・クリストフ」、「デミアン」を再読した。サルトルの哲学を勉強し直そうと買ってあったサルトル全集を紐解いた。この企画でぼくの精神は同年輩の高齢者よりは幾分精神年齢を下げるのに役立ったと思う。
この思いつきは初動段階で成功と言えるかもしれない。何故なら次の段階に移る気持ちが最近芽生えてきたからだ。学生時代から社会人の時代に進みたくなってきた。ぼくは「就職」をやり直したい欲望を心の底に感じ始めていた。それはデザイナーという職業をサラリーマンとは違う形でやり直すことを意味する。そこでもう一度デザイナーを自分なりにやってみようという「第二の企画」(これも第一に劣らずとんでもないことだが、、、)を思いついたわけなのである。

ぼくがサラリーマンで企業内デザイナーとして営業と同行してデザインを「売って」いた頃、多くの場合相手は担当者だった。今もう一度自分なりにデザインを考えてみようと思ったのは、退社してクライアントである社長という存在との関係が自由になった、ということがある。サラリーマンである自分とクライアントである社長との自由な関係は、退社して始めて作れる関係だ。(サラリーマンだったら当然のごとくぼくの雇い主である社長がいる。)
今から振り返るとサラリーマンだった頃は、本質的にデザインをやってこなかったと思える。なぜなら客である企業のことが社長との深いコミュニケーションから理解しえていなかったからだ。その理解から、自分の仮説が許容範囲を越えそうか、全く外してしまいそうかが判断できるからだ。
世に出ている広告中心のデザインに、これが当たり前だと思い込まされてきた気がずいぶんする。そうではないデザインが今だったら考えられそうな気がする。デザインは形態的にゼロベースで考えて目に見えるものにすることだ。それは広告やパッケージの領域だけに生かされるだけではない。既存の思考ゼロの状態に自由な発想領域を作り上げる。企業にとってはあらゆる場面がデザインによって革新可能になる。この需要に気づいたのは、もしかしてぼくが長い間サラリーマンだったかもしれないと逆説的に思う。