確かに今は居場所がある。取り立てて居心地がいいわけではないが、伴侶と二人で暮らすには十分な場所がある。かつてはどこかに行かないと身が持たない気がしていたが、今は特に何処かへ出かける必要を感じない。本を読んでいると飢餓感が沸き起こってきて、何かを新しく取り入れて自分を更新する必要をよく感じていた。多分小説から得た何かだ。魂が震撼されるようなことが小説の中にあるとぼくの脳のどこかに刺激として傷がつけられ、疑似体験として残る。ふと同じ体験がしたくなって居たたまれなくなるのかもしれない。その禁断症状にも似た居たたまれなさが、ここ最近なくなってきているように感じる。一昨日だったと思う。村上春樹はイチローと同じだという批評家の論文を読んだ。同じように村上春樹は坂本龍一と同じだと思う。デビュー時はあまりにもユニークだったため既存のその道の実力者からは必要以上に貶されるが、類まれな能力でそれまでと違う決定的な新しさを生み出して、今では世界的な評価を得る存在になっているところが共通している。今の時代はそういう時代なのだと了解するとあながち悪い時代でもない気がする。何でこんなことを確認しているかというと、ぼくの意識は放っておくと悪い方へ流れてしまうから、時々微調整をする必要があるからだ。