現在の自分がこのようにあるのは、いかなる理由によってか?もちろん両親から生を受けているわけだけれど、どうして自分は他の人のようではないのかと辿ってみると、いくつかの人生選択の結果であることがわかる。ドラマのようには進まなかった。妻と平凡に巡り合ったけれど、今でも最も大事にすることができる世界中でただ一人の人だ。それは一番長くぼくのそばにいてくれるということの結果だ。美大に行ったけれど絵の才能はなかった。進む方向を間違えたのに、大きくその時に方向転換しなかった。でもサラリーマンとして何とか破綻せずに定年まで来ることができた。
昨日、もうブログを止めようとして削除ボタンをもう少しで押しそうになった。これ以上同じようなことを書き続けても意味はないと思え、新しい自分がブログを捨てることで訪れるように感じた。でもそれは錯覚であるとして、しばらくして考え直した。
今、自分を変えたいと思っている。だから今の自分が何からできているのかと反省してみたのだ。「道」という観念がある。どんな道を歩いてきたのかと反省する。「界」という観念がある。物理的、精神的にどんな関係性を作って生きてきたのかを反省する。今退職して「道」はなく、「界」もぼやけている。
おそらく自分のこだわりを捨てるべきなのだという声が聞こえる。誰かのために生きるという道がある。生きる自信をなくしている人に、生きていていいんだよと優しく声をかけたいと思う。過酷な時代だけれど、絶望してもいいから前に進もうと励ましたい。
ただ生きていても十分だと。ただ弱いものいじめはするな、絶対に。