戦争を考えると敵を抹殺することが正義であるという論法が成り立っていることに気づく。敵から自分たち家族や郷土を守ることが正義で、それを自衛(または防衛)という。では敵がいなくて味方ばかりだとしたら、戦争のしようがないのではないか?白人至上主義であったアメリカは白人以外を人間として認めず、原住民であるインディアンを殺し、アフリカから大量の黒人奴隷を強制連行した。正確にはインディアンや黒人奴隷は敵ではないかもしれない。そもそも人間として認めていなかったから。
敵は少なくとも人間でなくてはならない。では同じ人間なのに何故、敵と味方に分けて考えてしまうのか?宗教の違いや肌の色の違いやイデオロギー(社会体制)の違いや歴史認識の違いなどがある。肌の色の違いは生物的違いというよりも、人種というイデオロギーによると考えた方が適切かもしれない。さて、これらの違いは根本的には考えの違いということはできないだろうか?宗教も思想も根本的には考えであるとして、考え方を変えれば違いはなくなるのではないか?違いを立てないという仏教の考え(「空」)がとても平和であり、本質的に敵をなくす考えだと思える。しかし現在は敵としてある人間が「空」を理解できるだろうか?戦争という実体を空にするという壮大な哲学が、敵をなくし味方ばかりにすると考えられる。