開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

(公論)2.26事件の真相

何故軍事政権ができたかは、明治憲法統帥権の独立にあるのではないと思う。それは動機を説明しない。戦争遂行内閣を作るという動機は2.26事件の利用の中にあると思う。簡単にいうと、文民大臣に死の恐怖を与えて黙らせる(テロの利用)ためだ。以下は岡田憲治氏のFBからの引用。

https://www.facebook.com/Okadakenji?__tn__=%2CdC-R-R&eid=ARCoFcezl0Y9INe4np6V1LuL4u2wRI24cZq_zsVcItYP8teYc7S62_QFpc3qwdPI0c0kJ1wxAvUmV6bY&hc_ref=ARRoBw2b77TVcE4nQU5jmGBapqr6wCebqj8vbTo7MevUNoF52aUkmeKcMvGd8Ye3xn8&fref=nf

 

【決起部隊の詳細を把握していた陸海軍首脳:その後の準備のために「やらせた」?】

 決起部隊の将校との電話のやりとりを盗聴した「音盤」発見をスクープした前回のスペシャルよりもすごいのは、”海軍”がほぼ全貌を詳細に記録していたものが丸々全部出てきて、それを元に、かつて澤地久枝が推論した「実は、決起部隊を利用してその後の地ならしをした」疑惑が浮上するような番組になっていたことだ。

 この記録は、第一報から順に、時系列に隙間なく、詳細な展開が示されていた。こんな詳細な記録は、「予見」していなければできないし、陸軍の戒厳司令部に(つまり反乱軍や他の陸軍部隊、つまり反乱予備軍も含めたオンゴーイングな連絡が目の前で展開される場所)「海軍軍令部の参謀」を事前に潜り込ませていなければ無理である。

 そして、ここからわかったのは、海軍は第一艦隊(当時はまだ旗艦は長門)を芝浦沖に待機させ、陸戦隊(海軍の陸上部隊、つまりは海兵隊みたいな部隊)をきっちり配置させ、反乱軍のいた具体的な攻撃目標を定めていたことだ。

 海軍は、長門の主砲でいざとなったら完成したばかりの国会議事堂を砲撃する手筈となっていた。つまり、本当に陸軍反乱部隊と海軍が「内戦」のように武力対決する寸前だったということだ。

 もう一つ、これが重要なのだが、この全貌記録によって、「陸軍も海軍も、青年将校たちの決起部隊のやらんとしていたことを、もうかなり前から把握していた」ことだ。

 わかった上で、「やらせた」のである。80年を経て、今頃そんな膨大な記録が開示されたという不可解な展開も、それで少し説明がつく。つまり「わかっていてやらせたことがわかってしまうのは都合が悪い」からだ。

 それでは、「やらせた後、何をするつもりだったのか」?

 もしこの番組が3時間スペシャルだったら(もしかすると、これのパート2を準備しているかも?)、当然詳細な「ある計画書」を取り上げることになっていただろう。

 それは、陸軍片倉衷(ただし)参謀が関わった、この事件に遡ること2年前に出来上がっていた「政治的非常事変勃発ニ処スル対策要綱」(昭和9年1月)である。

 これは言わば、「もし非常事態となったら軍はどうやって具体的にクーデターを起こし、天皇御真政のための革新政権を作り、運営していくか」の計画大綱である。

 歴史が示すように、この二二六事件は、文民政治家や官僚が「現実の暗殺の恐怖」によって、ほとんどもう抵抗ができなくなった直接の結果を招く出来事だったから、軍部はこれを通じて、あとは支那事変、太平洋戦争へと暴走する契機にしたのである。

 この「政治的非常事変勃発ニ処スル対策要綱」は、片倉参謀が残した著書『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』(芙蓉書房、1981年)に掲載されている。

 二二六事件の検証は、未だ終わらず、今後ますます研究が進むだろう。闇はまだまだ深いはずだ。