開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

平和な江戸時代小説「草々不一」

わが街野々市には、カメリア(情報交流館)・カレード(図書館)・カミーノ(公民館等)のコミュニティスペースがある。明日はカミーノで読書会3サークルの合同読書会がある。ぼくにとっては半分公的な、外に開く活動になって退職後の張り合いになっている。読書というのはこれまで一人で読む孤独な行為だったのが、仲間で読むと孤独ではなくなり知的なコミュニケーションを楽しむことができる。一人一人は微妙に読み込むところが違って、読書が立体的になる。取り上げる課題本はほとんど小説になるが、小説の中の世界と作者と複数の読者が混じり合う空間。書いた文章でなく、話された言葉だけにその空間は生きている。時には脱線して収拾がつかなくなることもあるから、「生きもの」なのだ。作者が自分のことも気にかけて欲しいという声が聞こえると、この小説はこういうことを伝えたかったのかというまとめの段階に入る。それがうまい司会役もいるが、うまくない人の時は尻切れとんぼで終わる時もある。それも良しで、誰も責めない。みんな仲良しになる。ちなみに明日は、朝井まかての「草々不一」だ。

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 Amazonの書評の中からひとつ。

江戸時代半ばから幕末にかけての、様々な武士や武士を取り巻く人々のドラマを描いた短編集。表題作は特に素晴らしかった。

武士に学問など要らぬ、武芸をしっかり磨いて大樹公(将軍様)をお守りすれば良いという、元徒衆のご隠居が、妻が死の直前に書いたという手紙を息子から受け取る。

自分とは違い書道に長けていた妻が、文字を読めない自分に託した文には何やら意味深な言葉が書いてあるが、何を書いているのか分からない。

そこで長年の考えを曲げて、手習いに通うことにしたのだが、腕白少年やかしましい娘たちに混ざって文字を習ううちにご隠居に新しい視界が開けてくる。

自分とは違い、学問に長けてその力で出世街道をひた進む息子との微妙な関係もどうなるのか、亡くなった妻の「不一」に込めた気持ちと夫が読めない手紙を託す気持ちが感動的だった。