これから書くことはぼく自身の心に現れた真実だ。これを読む人に知り合いや家族がいないとわかっているからこそ書けることだ。66歳になってもまだこんな感情が湧いてくることの意外さに自分自身が驚いている。二人切りでその場にいるだけの感覚がどういうきっかけで蘇ったかはもうわからない。記憶から消されてしまっていたはずなのに、無意識にずっと求めていたのか思い出してしまった。そしてそれを今の自分に許している。もう逢うことはないはずだ、そう約束したから。でも逢いたいという感情をどうしたらいいか、感情のままに書いてみようと思った。
君もあの時逢うことに同意したのだ。ぼくは最初ただ昔を思い出して話をするだけでよかった。声を聞いて君の話を全身で吸収したかった。ぼくは若い頃君をどうしたいかよくわからなかった。うまくいかなかったことをずっとなぜか謝ろうとしていたように思う。応えるというスタンスがまるっきり欠如していたように感じる。うまくいかなかった過去に責任を持とうとして、とにかく精一杯誠実に接しようと思った。そのこちら側の誠実な構えがぼくの記憶の中に、具体的にいわば肉体的に残っている。それはほとんどの時間、沈黙になってしまったかもしれない。わずかの沈黙に君が仕方なくおしゃべりのようになってしまうのをぼくは申し訳なく感じていた。君のおしゃべりを止めて、もっと感じるままをぼくの方が説明すべきだった。
しかし、何を感じていたというのか?君との人生をあの頃どう描いていたのか、君に何かを差し出すものがあったのだろうか?そうだ、ぼくに話すべきことはなかった。いや差し出すものはなかっただけで、話すべきことはあった。君に何かをあげることはできないが、君とずっと一緒にいたいと伝えることはできたはずだ。