開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

芸術と災害

今日も暑い。台風の影響なのだから仕方がない。とはいえ、自然の猛威には耐えられるインフラが整備されていてほしい。東京では電車が止まり、関東圏で停電が続くと大混乱になる。それが地震となると原発による恐怖にまで襲いかかる。21世紀にもなって自然災害を克服できないことが明らかなのだ。宇宙にまで届こうとする科学が身近なところで力が届かないということなのか。医学が発達したところで癌はなくならないのだし、認知症にも決め手がない。そんなことのついでにいえば、戦争の危機がないわけでもなく、テロや領土問題、貧困問題と日々不安材料に事欠かないのが現代である。

原田マハという人気作家の「中断された展覧会の記憶」という短編小説がある。2011年の3.11に材をとっている。その年の「オール読み物」の12月号に掲載されているから、あの歴史的大災害を作品に取り上げるにはかなり早い対応に思える。彼女は美術学芸員でもあったことから、美術作品からモチーフをとった小説で名が知られている。この作品は、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」をニューヨーク近代美術館から架空のふくしま近代美術館に貸し出されたのを、震災が起こって展覧会を中断し返還を要求されるという設定になっている。

クリスティーナという女性は小児マヒのため足が不自由で、その絵では野原に一人ポツンと手を前について後ろ向きに横たわって描かれている。クリスティーナの見つめる向こうには家が2軒かなり離れて描かれている。学芸員(実際には展覧会ディレクターで学芸員志望となっている)ならではの解説が作中に行われるが、人物を後ろ向きに描くには鑑賞者を人物の内面に誘う効果があると指摘している。顔が見えてると対面することになってクリスティーナと鑑賞者が二人に分かれるが、後ろ向きだと一体になりやすいということなのだ。ここに作者は福島で他県に避難せず残る選択をした人々を誘ったと見ることができる。実際絵にある2軒は放射能の影響が消えた、震災前の福島の家を象徴しているように読者を誘っている。

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とはいえ、主人公が学芸員という立場でなければそこまでの思い入れはちょっと無理があると思えなくもない。そもそもぼくは原田マハの芸術感覚に深みを感じないので、全面的に支持できないのだ。画家を描いた小説はサマセット・モームの「月と六ペンス」を若い頃に読んでいるので、どうしても人生の深みに欠けると感じてしまう、、、

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