開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

内部体験1970-1972

地元の進学高校に進んでから両親、親戚からの受ける印象が変わったことに少し得意になっていたかもしれない。本格的な大学受験準備に入るまでの猶予期間に、ぼくは世界文学全集を読み始めた。その時内部世界が作られ始めた。ぼくの中に「内面」という誰も侵すことのできない世界があるのに気づいた、それが嬉しかった。あの頃いつものように鞄の中から分厚い世界文学全集の一冊を取り出して、生物や地学などの授業で机に広げて読みふけっていた。ぼくの座席は1年次はずっと一番後ろの座席で、先生からは気づかれずに済んだ。気づかれていたかもしれないが黙認されていたというのが真相だったかもしれない。三島事件というのはその年、休み時間の教室で誰かからともなく聞かされた。市ヶ谷駐屯地での自決という言葉を聞いた時、腹を切って吹き出る血のイメージが頭の中で浮かび上がった。今考えるに、ぼくに出来上がったばかりの内面の想像力が敏感に反応したのだろうと思う。

同じような衝撃は卒業式があった日に、連合赤軍浅間山荘事件が起きたことだった。今度はテレビの映像に釘付けになった。ドストエフスキーの「悪霊」を読んでいたので、革命思想に取り憑かれた者の異常な行動に全く免疫がなかった訳ではなかった。彼らを幾分同情の目で見ていたかもしれない。あるいは哀れみの目だったかもしれない。とにかくこの事件でもぼくの内面は強く反応したのだった。

この二つの事件はあの時代を画するものとして、定年退職後よく振り返ることとなった、、、