開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

もう一人の自分を英語で作る

英語の勉強が好きであったりとか得意であったりしたわけではもちろんないが、英語が自分に必要と思える理由をしっかりさせたいと思う。なぜそう思うか?理由が納得できていないといくら英語を勉強しても、覚えると同時に忘れるからだ。

今日最終的に地元の公民館の英会話サークルに入ることを断念した。英語の勉強を続ける動機を得たいがためにそれに入ろうかずっと迷っていたが、結局英語を勉強すること自体が目的になってしまって人生の無駄になると気づいた。なぜぼくに英語が必要かに答えなくてはならない。

それは書くことが自分を存在させるために必要と考えたこととほぼ同じである。日本語で書くことで形成させる自我とは違う、もう一人の自我を英語で作ることが必要と思える。なぜだろう?英語で書くことでより厳密になるし、日本語で書くより視野が広くなるような気がする。要するに自我をもっと広げたいということなのだろう。それは存在欲求だ。竹田青嗣風に言えば、エロスに基づくチカラだ。だから裏切らない。、、、これで英語を勉強する理由が納得できた。