開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

16歳から読む世界文学

定年後の自由な身分になって自分の人生を分析対象に選んで回想を繰り返していると、つくづく内面世界が掛け替えのない貴重なものに思えてくる。私は貧困の家庭には生まれなかったが、経済的に裕福な家庭とは根本的に違う人生訓の中で育てられた。つまり我慢することを教えられて、比較的私は物分かりのいい子供だった。小学生の6年間はずっと級長に選ばれていた。私は先生がクラスのみんなに聞く時にいつも選ばれないように願っていたが、押し切られて仕様がなく受け入れていた。その時の困った感じが今でもかすかに感じられる。小学生の間はあまり本は読まなかった。読んだ本は、宮沢賢治の「風の又三郎」と、リビングストーンの「アフリカ探検記」と、ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」で、それらは読んだ時の面白かった感じが残っている。つまり冒険の楽しさに何らかのイメージを疑似体験的に持っている。その後中学生になってからは、アメリカンポップスにハマり、ビートルズストーンズだけではなくオーティス・レディングなどのR&Bなども少年の魂に響いた。それらの音楽は内面世界というよりは身についた感じがする。世界ではなく身体性に影響しているように思われる。私の内面世界を作り上げているのは、16歳から読み始めた世界文学にある。なぜ言い切れるかというと66歳の現在の私の内面を覗くと、その世界が他の経験と比較して圧倒的と感じられるからだ。内向的な性格だということもあるのだろうが、外見は平凡で普通でおとなしいけれど、内面は大胆不敵に無限に広がっている。それは静かな自信に繋がっている。必要な時に落ち着いていられるし、逆境に陥っても支えになってくれた。