昨日、斎藤美奈子の「日本の同時代小説」を読んで、「赤頭巾ちゃん気を付けて」と「ライ麦畑でつかまえて」の野崎孝一訳の文体が似ていて、一時期一部で流行ったということが書かれていた。60年代の雰囲気がそのひとり語りのような文体に表われていたのだろう。ぼくはどちらも読んでいたので、何となくそのことに腑に落ちる感じがした。
ちょっと人を食ったというか、世間の大人たちに軽口をたたくような語りが延々と続くような文体とでもいう感じなのである。今これを書いてて気づいたが、村上春樹の気障っぽい語りのある文体もその流れに通じているかもしれない。その語り口を真似てみたら自分も何か書けそうな気がする。おそらく村上春樹を最初読んだ人もそんな気がしたのではないだろうか。
ぼくは今66にもなっているんだが、ちっとも爺さんになっている気がしないんだな。まるっきり働かないことにして、僅かな年金だけでもやっていける節約生活をフミコさんと二人でしているので、気分はニートの人とおんなじ気がする。世間とは距離がある感じは似ていて、世間から隠れて生活しているのはいい気分の時もあったりする。生活感を消して小説の中に生きているように暮らしたいんだな。、、、ちょっとぼくも真似てみた。